京極夏彦のぶ厚い本の映画化です。
私は京極夏彦の本を読んだことがないので、
原作と比べてどうのという話はできませんが、
かなり原作と違っているらしいです。
(試写会の舞台あいさつで原作者本人が
「私が一番びっくりしました」と言っているくらいですから)
何の予備知識も持たずに見た「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」は、かなり面白かった。
堤真一、阿部寛、椎名桔平という
このうちどれをピンで主役にしても映画はヒットするだろうという豪華メンバーに
女性陣は黒木瞳と田中麗奈。
そこに柄本明・宮迫博之・宮藤官九郎ですから。
原作では宮迫演じる木場という男が全面に出ているお話らしいのですが、
映画では阿部ちゃんがまんべんなく話にからんでいるかな?
宮迫はカッコよかったですよ。
(阿部ちゃんら3人は、無論ですが)
あと、黒木瞳がステキだった。
彼女はテレビでは二枚目半というか三の線の主婦役が多いけれど、
今回のように「女優です」という役の方が映えるな、と思いました。
劇中劇ならぬ映画中映画で、女剣士の役をやるんですが、
それがまたカッコよかった!
お話的には、謎が謎を呼ぶ中盤まではとてもひきつけられたのですが、
クライマックスは結構ありがちなパターンだったな。
これぞ、映画!っていう作りには楽しませてもらった一方で、
映画を観た直後の「面白かった」感が、日を置くに従って薄れていくのは、なぜ?
擬古的というか、
作りこみすぎた感もあり、
映画フリークな原田監督が
「このシーンは○○に出ていた誰それのように」
「そのセットはxxに使われていた△△のように」と指示していたことを知るや、
なるほど、
私の中の「?」はそこにあったのかもしれない、と思うようになりました。
本当に、そこまでこだわる必要が、この話にあったのか?
誰にでも好きな映画はあるし、「あんなふうなものを作りたい」気持ちはあるだろうけど、
そこは換骨奪胎、
ディテールじゃなくて根本のところでやってよ、と私は言いたい。
映画は監督のものですから、どうこだわってもいいんですけど、
堤さんや柄本さんが「監督は映画に詳しいんで…(笑)」と会話を避けるのには
それだけのことはあったんだな、と確信しました。
あと「戦後の日本」の再現ロケを中国でやっていて、
「どうみても、中国だろー??」という違和感はどうしても拭えなかった。
「戦後」って、どんなものだったかわからない時代じゃない。
写真も映像もたくさん残っているし、
だから、大嘘は許されるけど、
「似せました」と言われると、ほんとに似てなけりゃクレームつきます。
「この映画がヒットしなかったらウソです!」と監督は言っていたけど、
ヒットしたのかなー、しなかったのかなー。
*この映画、ネタバレせずにあらすじを話すのは難しすぎる!
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