★20%OFF!パフューム ある人殺しの物語 スタンダード・エディション
パリの街を歩いていると、
「気をつけろ~」と合図の声が。
2階から壷の中の液体が捨てられる。
「ベルサイユ宮殿にもトイレはなかった」という18世紀フランスは、
かなりの悪臭だったという。
だからフランスは「香水の国」になりました。
「オードトワレ」って、「Eau do Toilet」、トイレ(用)の(香)水っていうことだもんね。
匂い消しです。
そういう「ニオイ」の歴史と文化をふまえて、
この映画を見る。
悪臭の魚市場に産み落とされた主人公・グルヌイユ(蛙の意味)が、
生まれ持った敏感な臭覚を武器に、
貴族に香水を作って売る香水師の弟子になるまでが前半、
自分が最高と思う「香り」を作るために、
その素材をなりふり構わず求め始め、「人殺し」に至るのが後半。
前半は、猥雑さと香水にむらがる貴族たちとの対照がうまい。
橋の上にあってきらびやかな香水の店先と、
その地下にある調合室・貯蔵庫、汚物を捨てる川につながる裏口のどす黒い映像とが
最底辺の人間であるグルヌイユの才能が上等な人間を喜ばせるというアイロニーを表す。
香水師役、ダスティン・ホフマンの演技には舌を巻く。
一斉を風靡した名香水師が、自分の才能の限界に焦る描写が秀逸。
ライバル店の人気香水の原料を、どうしても嗅ぎ分けられないシーンは、
大したセリフもないのに、彼のフラストレーションと嘆きがどっと押し寄せてくる。
「天の助け」とばかりにグルヌイユの才能に飛びついたのが、
単に「商売っけ」だけでなく、
同じ「ニオイ」に携わるものが持つ引力であるとも思わせてくれる。
一転、
後半は「コトの善悪よりヲタク道ひとすじ」の、グルヌイユの暴走。
「赤毛の美女」が発するフェロモンを、どうしても手に入れたくて
目をギラギラさせながらグルヌイユが一線を越えていく過程は、
非常によく描かれている。
しかし、
「だからどうした?」
結論に、ひねりがない。
猟奇殺人ものなら、もっとミステリーであってほしい。
殺しました、やっぱり君だね、死体もみつかった、っていう感じです。
「その香りに世界がひれ伏す」というコピーそのままのラストシーンも、
好き嫌いが分かれるところだろう。
「本能と理性、どちらが勝つのか?」という命題に果敢に挑戦している監督の顔が見える。
もっとうがって言えば
「人間のお行儀のよさなんて、こんなもんさ。ジョーシキなんてぶっ壊してやる~!」
みたいな、アナーキーさにもとれる。
一枚のハンカチーフの仕込まれた香水のひと垂らしに忘我の境地を見出す集団陶酔。
アタマではそう理解するが、
「ニオイ」でソソられた経験のない私には、
ラストシーンがギャグにしか見えない。
そこが
この映画の「好き・嫌い」なのかもしれないなー。
「ニオイ」で異性を悩殺してきたヨーロッパの男と女にしてみれば、
「ニオイ」を語ることは、「Sex」を語ることとほぼ同じなんじゃないだろうか。
だからこそ成り立つラストシーンでしょう。
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