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「ルドルフ」

ハプスブルグ家の皇太子ルドルフの話は、
様々に語られている。
映画「うたかたの恋」、バレエ「マイヤリンク」、
彼の母親にあたるエリザベートも、その名のミュージカルとなり、
もちろんルドルフは、登場人物の一人だ。
西ヨーロッパ全土を血筋で支配、強大な力をもって君臨し続けたハプスブルグ家は、
その巨大さゆえに時代の転換期にあって舵を切り損ねた。
最後に咲いた仇花の一つとして、
エリザベートも、ルドルフも、象徴的に語り継がれている節がある。
それは、
市民が見た、最後の「王侯貴族物語」でもある。
華やかで愚かしく、
「身動きがとれない」ゆえに、悲劇。
その上「謎の死」となれば、なおさらスキャンダラス。
ルドルフがマイヤリンクの地でマリーという女性と死んだことは、
情死と言われているが、暗殺説も消えずに残っている。
その「情死」説にしても、
結果的にマリーを道連れにしたけれど、
最初は違う女性に心中を持ちかけたが袖にされた、という話が伝えられているほどで、
「ルドルフ」=「まっすぐ」=「真実の恋」=「悲劇」という図式は、
必ずしも全面的に事実というわけではないのだ。
そんなこんなで、
「王子サマと純粋な娘の美しくも悲しい恋」を前面に出した「うたかたの恋」に比べると、
その後のプロダクションでは
えてしてルドルフを、
飲んだくれで精神的にも病んでいる社会性に乏しい王子として描くことが多い。
今回のミュージカル「ルドルフ」は2006年ハンガリーにて初演されているが、
この版でもルドルフは、「飲んだくれ」で始まっていたという。
日本版の演出を任された宮本亜門はそのあたりを大幅にアレンジし、
久しぶりに「純粋でまっすぐな王子」としてルドルフを描いた。
主演の井上芳雄は、その任をよく務め、
若者らしい潔癖さ、理想の世界を自分の中で育みながら、
それを実現する力を持ち合わせない焦りと絶望、それゆえの暴走を体現していた。
何より声に気品があるので、「王子」としての説得力がある。
悩んだり、恨んだり、怒ったりする時の殺気だった顔・わざと潰したような声と
何かの拍子にふと緩んだとき、溢れんばかりの希望の表情と伸びのある声のコントラストが、
理想と現実のはざまで上手に身を処すことができず、
常に迷い、悩み続けたルドルフの振れ幅の大きさを表していた。
父親である王(壌晴彦)との対立の図は、説得力があった。
「公の場での発言を禁じる」の後にくる「その激情をコントロールするすべを学ぶまでは」は、
一国の王たる者の「君臨」が、不自由さを受け入れた上での権利である
と体得した父王の人生哲学と、
それを息子へうまく引き継がせ、「平穏で幸せな人生」を贈ろうとする愛情に溢れている。
しかし、「結論」しか言わない王の気持ちは、
若すぎる王子にまったく届かない。
そこが若さだ。
このすれ違いが、非常にリアルだった。
「一国の長を約束された皇太子たればこそ、政治を語ってはいけない」というパラドクスの中で、
一人の人間としてもがくルドルフの苦悩は、
21世紀になってもいまだ世界に残る王室・皇室の人々が抱くであろう矛盾に通じるものがある。
とにかく、
周りが見えず、利用され、誠実であろうとすればするほど袋小路に追い込まれていく過程が
よくみえる作りになっていた。
皇太子がひな壇に上がって、「民主主義」を語る図というのはまさに象徴的。
皇太子なのだから、自分には何かができるはず、
できないのは「現状維持」を死守しようとする頑迷な者たちのせいだと信じて疑わない。
「皇太子」という自分の存在自体が、反・民主主義であることにも気づけないルドルフ。
それこそが、実は悲劇の始まりなのだけれど。
マリー役・笹本玲奈は後半、歌い上げるナンバーが増えると、力を発揮する。
単に「身分の高いお金持ちとの結婚」を求めていた娘が真実の愛に芽生え、
「覚悟」をもった後、声が変わっていくのがわかる。
とはいえ、ルドルフ同様マリーも世間知らずであることに変わりなく、
「皇太子には力がある」と盲目的に信じているあたりが、
かえってルドルフを窮地に追い込んでいると知らない。
「若さ」=「純粋さ」=「思い込み」=「危うさ」。
そんな二人を周りが心配しながら遠巻きにしている、という作りに、
宮本亜門の「年齢」を感じた。
完全に「おじさん世代」目線である。
(だからワタシが共感できた、という面は否めないが)
モノがわかるというのは、大切だけど、さみしいものも感じる。
壌晴彦は演技面・セリフまわしで見せたが、哀しいかな往年の声の張りがないのが残念だった。
王を補佐する首相・ターフェ役の岡幸二郎の歌はさすが。
特に第二幕冒頭の『命令次第』は圧巻。
人物説明に流れ舞台転換も多かった一幕の冗長さを吹き飛ばした。
マリーの相談役的存在・ラリッシュには香寿たつき。
出番としては前半のほうが華やかだが、彼女の歌が冴えるのは後半の『愚かな英雄』。聞かせる。
全体として、「悪くない」出来だと思う。
井上芳雄の歌をもう一度聞きたい、
あの「ルドルフ」の人生をもう一度見てみたい、と思った。
それなのに、
「よい」ではなく「悪くない」という言い方になるのはなぜだろう。
ルドルフが啓蒙的であるがゆえに「皇太子」としての自分と折り合いがつかず、
誠実であろうとすればするほど傷ついていく、
まさに「愚かな英雄」としての物語はものすごくよくできていると思う。
ただ、そこに集中してしまったせいか、他の人物描写に力がないのだ。
ターフェは(歌はうまいが)典型的な悪代官でしかない。
正妻ステファニーの知念理奈も典型的な「二号さんイジメ」に終始してしまい、
高貴な家の出である点、決められた結婚の中に幸せを見出そうとする女心など、
気持ちの奥深くまで、きめ細かく触れられていなかった。
冒頭、立ち姿に威厳があって存在感があっただけに、残念。
ラリッシュも、ルドルフをめぐる女性の一人として、
もっと底知れないものを期待したがそういう展開はなかった。
プロイセン・ドイツは完全に悪者扱い。
ユダヤ人迫害もドイツ人の専売特許のような描き方だ。
これは原作者・フレデリック・モートンに失礼なのでは?
(彼の「ロスチャイルド王国」を読めば、
 ハプスブルグ家の領内でのユダヤ人がどうであったかがつぶさにわかるというもの)
皇太子が公式行事のあと、フラフラ歩いて帰るとか、「?」な場面も多く
物語が壮大である一方で、
キャラクター一人ひとりの人生や、各場面に与えられた使命が類型的にすぎた。
また「プロイセン王子」など、名前が立っている人のソロが少ない分、
「市民」「貴族」「貴婦人」「娼婦」などのアンサンブルが多い。
これらが声量はあるのだが、調和した美しさが立ちのぼってこなかった点が気になった。
長々と書いてしまいました。
読んでくださってありがとうございます。
時間があえば、もう一回行きたかったんだけど、
難しそう。残念です~。

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