私の紅衛兵時代
「黄色い大地」や「さらば、わが愛/覇王別姫」などで有名な映画監督、
陳凱歌(チェン・カイコー)が
自分が少年のころ目の当たりにした文化大革命時代の体験を
赤裸々につづっている。
自分の親が断罪されることを「恥ずかしい」と思う陳少年は、
たとえば日本占領下の朝鮮半島で創始改名が進み、
「どうしてうちは日本の名前にしないの?」と訪ねる子ども(「族譜」)にも似て、
いつの時代も子どもから洗脳されていく過程をよく示している。
日々続く壮絶な暴力の狂気を陳は
「磁石から落ちる恐怖」がなせるわざだとも表現している。
彼は前書きで
「文化大革命が引き起こした根源的な破壊は、
社会のデッドラインを突破してしまったことだ。…(中略)…
洋の東西を問わず、人々が世代を越えて命をかけて守ってきた
普遍的な価値さえも、覆されてしまったのだ」
と綴る。そして、
現代の中国のインターネットに見られる「激しい憎悪」「氾濫する怨み」を見て
「過去の熱狂は、現在も変らない。
ただ熱狂の対象が、政治から金銭に変っただけ」だと結論づける。
それは
「集団から放り出されるのを恐れる原初的な恐怖の中に、
人々が今も生きているからだ」と。
彼は本書の後半で、下放された雲南省での生活を描いている。
奥深い山の、そのまた奥の原生林の、
仕事の合間に手を止めて見やる、もやにけぶった森の描写が美しい。
彼は映画監督だけれど、
文章だけでも色が、映像が、たちのぼってくる。
しかし「現地の農民のため」のゴム栽培と思っていた自分たちの労働によって、
結局はそこにあった広大な原生林をすべて失くしてしまったことへの
悔恨の念が痛い。
しかし一方で、
辛く苦しい時代ではあったが、
自然の厳しさの中で生き抜く力もおそわったと書いている。
陳は、この本を「懺悔の書」として書いた、という。
それを書いたタイミングは、天安門事件の直後である。
彼のみならず、
今を生きる中国の人々が内面に抱く、
私たちには計り知れない体験の重みを、改めて思う。
非常に読みやすい本なので、
ぜひ一度、手にとってほしい。
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