【中古】【古本】変身/フランツ・カフカ
「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、
自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した。」
この衝撃的な一文から始まる有名な小説「変身」。
「変身」といえば、カフカ、カフカといえば「変身」というほど、
「巨大な虫に変身した男の話」は異様なインパクトとともに頭に残る。
不気味で、わけがわからなくて、恐ろしくて、悲劇的な…。
でも、息子は言うのだ。
「あれってカンペキなコントだよ。
気がついたらベッドの上で虫になってて、
それも仰向けだから寝返りも打てなくて、
どうしようどうしようと思っていると、
父親や母親や妹や仕事の上司が部屋のドアをドンドン叩いて
どうしたんだ開けろ、開けなさいってうるさくて、
本人はこのざまじゃ見せられないと思って必死でドアを押さえる。
これ、お笑いでよくあるパターンじゃない?」
…そんなふうに考えたことなかった。
それで、もう一度読み返してみる。
ほんとだ。…笑える…。
筆致がとても淡々としていて、
この話自体に悲劇性を帯びさせようという意志がない。
グレーゴルは「虫」になった自分をものすごく客観的に観察している。
最初驚いていた家族も、当たらず触らず彼と同居するし。
彼は一家の稼ぎ頭で、ほかの家族は彼に100%依存していたのに、
「虫」が日銭をもたらさないとわかった途端、
老け込んでいた父親が急にシャキシャキして働き出すところがまたリアル。
たまたまドアを開けたら、廊下に立っていた父親と鉢合わせした場面は笑える。
ドアを半分開けて外を覗き見る、でっかいゴキブリ着ぐるみの男と、
「ぴっちりとした紺色の、金ボタンのついた制服を着て、
以前は櫛も入れたことがないほどの白髪頭は念入りになでつけられ、
金モールの頭文字が入った制帽をかぶった男」。
目が合う。沈黙。ストップモーション。
お父さん役は、伊東四朗だな、絶対。
ほかの家族のやりとりも絶妙。
「虫」としての兄に最善の環境を作ってやろうとする妹と、
「そんなことしたら、人間に戻ったときにかわいそうじゃない」という母親。
母親の
あの子に「もう人間としての自分は期待されてないんだ」と落胆させたくないという思い、
すごくよくわかる。母親として、普遍。
そう、
この話は「巨大ゴキ」という着ぐるみで再現すると、ホントにコメディだけど、
「虫」というところを、
「妊婦」とか「ひきこもり」とか「オタク」とか「オカマ」とか「ウツ」とか
違う言葉に置き換えて読むと、
また全然違うイメージに「変身」する小説なのだ。
グレーゴルは、旅から旅の外交販売員。
いわば歩合の営業マンである。
毎朝4時に目覚ましを鳴らし、5時の汽車に乗る。
けれど、今日はなぜか起きられない。
もう4時15分だ。30分だ。起きられない。
次の汽車にするか。6時の汽車なら何とかなる
…起きられない…。
そんな朝は、私たちにもやってくる。
家族を養うため、
ほんとの自分らしさはぐっと隠してがんばって働いてきたが、
こんな人生を自分は歩きたかったのか?
もっと自分らしく生きられないか?
他人から見たら非常識で、理解できなくて、おぞましい人生であっても、
自分らしく生きてはいけないだろうか?
休みたい。
休みたい。
自由になりたい。
グレーゴルは、自分のありのままを外に現した。
本当は、その姿のまま、外の世界に飛び出したかっただろう。
親も、妹も、しがらみを全部捨てて家を出る。
身軽になって生きたいように生きる。
しかし現実は…。
家族はグレーゴルを部屋に閉じ込めた。
誰にもその姿を見せなかった。
飼い殺しである。
そして、グレーゴルもそんな「仕打ち」を受け入れた。
「だって俺は何の役にも立たない。
稼げず、家事もできず、人のやっかいにしかなれない。
生きててごめんなさい。
みんなの迷惑になって、ごめんなさい…」
そんな思いで肩身せまくして生きている人は、多いと思う。
カフカの「変身」が今も読み続けられるのは、
そしてそれが「コメディ」じゃなくて、
どこか物悲しい物語としてとらえられているのは、
ありのままの自分を自覚しながらも、
世間様のジョーシキの中で育ったがために
まず自分からして自分を心から愛せない、
私たちが陥りやすいそんな気持ちを
グレーゴルが体現しているからではないだろうか。
一生懸命グレーゴルの世話をしていた妹が、
「もう放り出すしかないのよ」というところとか、
グレーゴルが死んだあと、
「親子三人で電車に乗った。
この数ヶ月以来絶えてなかったことである…(中略)
暖かい日ざしがさんさんとさしこんでいた。
ゆったりとうしろによりかかりながら、
三人はこれから先のことをあれこれと語りあった。」
という描写には、
たとえば長いこと家庭内で寝たきりの人を介護してきた人たちが、
懸命に介護したがために限界に来てしまった叫びとか、
彼の死によって家族が解放されたような空気が漂う。
カフカの目は、どこまでも冷徹だ。
「虫」という特異な状況で見えないものが
この小説にはいくつも隠されている。
「変身」のこれだけの深みと重みを感じつつも、
もう一度ルミネよしもとに行って水玉れっぷう隊のゴキちゃんコントを
じっくりと味わいたいと思う私であった。
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