日本映画、崩壊
「最近、ハリウッド映画ってつまんない」
「リメイクとか続編多すぎ。CGばっかだし」
「そうそう、日本映画の方が、がんばってるよね」
「2006年は、興行収入も、初めて日本映画の方が上回ったんだって」
「へえ~、いよいよ、日本映画の時代??」
・・・ちまたで聞こえてくる、「日本映画は元気」の声に、
敢えて物申す、という斉藤守彦。
20年間映画の世界を見てきた斉藤氏の筆致は鋭い。
「洋画を越えた」という興行収入も、
「結局、洋画を見る人が邦画を見ただけで、パイは変わらない」とか、
1スクリーンあたりの収益を見ると、数年前よりずっと落ちている、など、
数字やデータの読み方に目からウロコ。
また、
「○○製作委員会」って何? とか、
シネコンの普及がもたらしたもの、とか、
以前は黒澤明とか、「コワイ」が監督のイメージだったけど、
最近は変わってきた、その根底にあるものが何か、などなど、
映画館で映画を見ながら、
ふと「あれ?」っと思うことについて、書いてくれている。
仕事柄、私がもっとも注意深く読んだのは、
「映画ジャーナリズムの没落」の章。
「インタビュー記事は、まず質問ありき」
つまり、読者が知りたいことを、いかに引き出すか、
もちろん「対象」がなければインタビューは成り立たないけれど、
逆に、誰かが書かなくては読者に伝わらない。
宣伝したい方の書いてほしいことだけを書くだけで、
それを「ジャーナリズム」といえるのか?
それだけのことが書いてあるということは、書き手は映画を推奨していると見られる。
「この映画いいですよ、見ないとソンですよ」の気持ちがなくて、
単に右から左の紹介文でいいのか?
読者はそれを見て「きっと面白いんだろう」と映画館に足を運ぶのだから。
「原稿チェック」「個人プライバシー保護法」など、
書く側に不利な条件が多くなる中で、
斉藤氏はじめ諸先輩がいかに自分のオリジナリティを守ろうと奮闘しているか、
ギリギリとした切迫感が伝わってくる。
同じことが
監督や脚本家にも言えるというのが、この本のテーマ。
作り手も、資本提供者も、宣伝も、そして観客も、
みんな鉄板指向、つまり「絶対に受け、はずれがない」かどうかを吟味して、
何かと「守り」に入っている。
自分なりの「思い」に固執しなくていいのか?
ビジネスとして成り立たなくてはならないのは大前提として、
そこに「映画文化に対する強い思い入れ」があるからこそ、
時代や文化をリードできるのが、映画産業ではないのか?
映画を愛する人間としての、覚悟の辛口。
これで大丈夫?という斉藤氏の問いかけは、
映画界だけでなく、日本全体が流されている傾向にも言えることのように思った。
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