朝日新聞の「百年読書会」の2回目お題。
知っている話だとタカをくくっていたが、
なんと初見だった。
映画を観ているために錯覚したんだと気がつく。
映画とはまったく違う印象をもった。
以下、ネタバレあり。
というか、作品の性質上、読む前からネタバレ必至だが、
ディテールに関しても、ネタバレをご容赦いただきたい。
ご自分の感性との出会いを大切にしたい方は
まず小説を読んでから以下をお読みください。
短い小説です。
楢山節考改版
よく、小説とは
「それ以上、何を足すことも何を引くこともできぬ完全な世界」と表現される。
この「楢山節考」を読むと、
まさにそのような、自己完結した硬質なものを感じる。
いかなる予断も、論評も挿しはさむ余地のない強い覚悟と隙のなさだ。
主人公はおりんという村の老婆である。
69歳になっても歯がしっかりしている自分を「老人らしくない」と恥じるような
しゃきっとした女性。
やもめの息子・辰平に後添えが来るかどうかと、
3人の孫のこれからを、心配している。
おりんの語り口の中から
村で70歳になると「楢山まいり」に行くという、その「楢山まいり」は
毎年行なわれる盆の祭り「楢山まつり」と同じように、
最初はめでたい日として記憶される。
そのうち
「楢山まいり」には言うに言われない「くるしみ」がついていることが
少しずつ垣間見えてくる。
辰平が、「楢山まいり」の話を避けたがる。
辰平の後添えの玉やんも、「ゆっくり行けばいい」とひきとめる。
「早く行け」という孫のけさ吉の言葉が、残酷に感じられる。
誰もおりんを憎んでいるわけではない。
やっかいだと思っているわけでもない。
ただ、
食べ物が足りないのだ。
誰かが増えれば、誰かがはみ出す。そうでなければ共倒れだ。
食べ物を盗んだ村人への集団リンチは壮絶で、
リンチに加わったけさ吉が嬉々として戦利品の芋を持ってくるかたわら、
辰平は、一つ間違えば明日はわが身と心を硬くする。
おりんの願いは一つ。
どうせ「いく」なら「正しく」「美しく」いきたい。
今まで後ろ指一つさされず、笑いものにされず生きてきた
その集大成が、
儀式にのっとった「正しい」楢山まいりの敢行なのである。
嫁であれ姑であれ、家族として村人として、
最後まで「やっかりものになりたくない」
これが、おりんの生きがいだ。
おりんと対比されるのが、
隣りの家の又やんである。おりんとほぼ同い年。
又やんは、「いきたくない」。
辰平とちがい、
又やんのせがれはそんな親父をなんとしてでも「いかせよう」とする。
これもまた、
同じ村にいての結果である。
どういう道筋を通っても、「いかねばならない」ことに変わりはない。
圧巻は、最後の「楢山まいり」の道程の描写だ。
「山へ入ったもの」だけが見る光景が壮絶。
それはまさに「地獄まいり」の旅である。
地獄に置いておかれる者も苦しいが、
背板に親を乗せて連れて行く者も苦しい。
その「苦しさ」が
辰平にしても又やんのせがれにしても、非常にリアルに描かれており、
空の背板を抱えて村に降り、
再び日常生活に戻る者たちの心の重さがさらに偲ばれる。
「山へ入ったもの」だけが酒を振舞われ、伝授するという儀式の意味が
彼らを畏敬の念で特別視する村人の気持ちがわかってくる。
そして。
「楢山節」とは、歌である。
営々と続く村の暮らしのなかで、人々が口にできない悲しみと感謝を
歌におしこめて語り継ぐのである。
だからこそ、
おりんは「きれいに」「正しく」いきたかったと知る。
自分を「きれいに」伝えてもらうために……。
けさ吉がおりんのために歌う楢山節がいちだんと美しく描写されるのは、
へらず口をたたき、祖母おりんのことなど屁とも思わぬけしきのけさ吉の
心の内の内ではおりんを慕っていることを皆がわかっているからだ。
私がこの小説でもっとも好きな場面は、
辰平がおりんを置いて村に帰ってきたときの、
家族の描写である。
人が死に、その人の死を乗り越えて生きていく
「live」というより「survive」に近い感じ。
玉やんの不在も心にしみるが、
一見残酷に語られた帯や綿入れが
おりんという人の記憶を保存し、
村の生活に残るだろうと感じれられる幕切れである。
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それにしても、
深沢七郎という男の経歴には、興味を抱かずにいられない。
写真を見る限り、温和で柔和なおじさんでしかないが、
「少年時代からギターをはじめ、戦時中にリサイタルを17回、
戦後は日劇のミュージックホールにも立つ」から始まるプロフィール。
その後1956年、
第一回「中央公論新人賞」に当選したのが、この「楢山節考」なのだ。
そのときの選者が伊藤整、武田泰淳、三島由紀夫だったと聞くと、
当時の文学が持っていた厚みと華やかさが知れようというもの。
その後自作が事件を誘発したということから放浪生活に入り、
「ラブミー牧場や今川焼きの店などを経営」って何のこっちゃ??
でも創作はちゃんと続け、
1979年「みちのくの人形たち」で谷崎潤一郎賞を受賞している。
うーん、ナゾだ。
泉谷しげるみたいな人かなー、などと妄想してみる。
心の叫びを歌にして、
歯に衣着せないから誤解もされ、
ぶっきらぼうだけど優しくて、
世の中を斬って捨てるようなそぶりをしながら人なつこく、
孤独を強いつつさみしがりやのような。
じいさんのような子どものような。
新潮文庫に収録された他の作品
「月のアペニン山」「東京のプリンスたち」「白鳥の死」を読んで、
そんなふうにも想像した。
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