今月の「クーリエ・ジャポン」(1月号・講談社)に、
「特別対談 中田英寿×沢木耕太郎」が載っている。
「僕たちが旅に出る理由」というタイトルで、
「旅の先輩」沢木が、中田が今、どんな気持ちで旅を続けているかを問うていく。
沢木は以前にも中田をインタビューしたことがあり、
中田という人間の性格をよくわかっていて、
先輩なのに、ソフト・タッチで質問していく。
「僕はこうだったけど、君は?」みたいな感じで、
自分の手のうちをさらけ出し、少しずつ、少しずつ、中田の懐に入り込もうとする。
しかし、中田の「心の盾」は堅固で、沢木の問いかけはことごとくはね返される。
「ないですね。」
「違いますね。」
中田の様子が少し変わってくるのは、
旅人の先輩としての沢木が、「僕は初めて小説を書いたんだ」と話し始めたころから。
「もちろん」
「そうですね」
「理解はできますが、僕は違います。」
沢木のナイフが少しずつ腱の際を注意深く切り込み、
筋肉の奥の奥に、分け入り始めた。
沢木「知識といえば、たとえばサッカーについて、
中田さんが持っている知識は確実に深いものがありますよね。
その知識を誰かに伝えようとは思わないの?」
沢木「肉体面も含めた、サッカーの理解度というのは、
すごく深いところまでいけたという感じがある?」
中田「そうですね。ある程度まで深く理解できたんじゃないかなと思います。
だからこそ、自分ができないことへの絶望というか、
わかってしまうからこその悲しさというものもあって、
それもやっぱり自分にとっては重荷になりましたよね(後略)」
沢木「わかるよ」
そしてついに、沢木のナイフが核心をつく。
沢木「それはいつ頃そう思ったの?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中田は、正直だったと思う。
彼は最後に、こう繰り返した。
「やりかたも答えもわかっているにもかかわらず、それができない辛さ」
引退するちょっと前くらいから、
中田は「変わった」。
「自己チュー」の代名詞とまで謳われた中田が、
遠征中、食事の注文を自在にする英語力に、「オレのも」と言ったチームメイトのお願いを
言下に断るくらい、自分にも他人にも「自己完結」を課していた中田が、
日本代表の「精神的支柱」とまで報道されるようになった。
それは、
「自分ではどうしようもない限界」に気づき始めた頃だったのだろうか。
そして、
「人に頼っても自分の求めるものは得られない」ことに行き着いたとき、
決断がなされたのかもしれない。
最後のシリーズで、彼が見せた「苛立ち」。
それは、チームメートに対する苛立ちだと思っていたけれど、
本当は、自分に対する苛立ちだったんだな、と
この対談を読んで思った。
中田が「旅する理由」は、まだまだつかめてこない。
もしかしたら、中田もわかってない。
沢木も、今だから若かりし時の自分のことがようやく見えてきたのだから。
けれど、
「現役で最高峰のサッカーをやる」という旅を終えた理由は、
わかったような気がした。
*あえて核心ははずして書きました。読みたい方は、本屋さんへ。
この号は、他の記事も非常に充実していて、
580円(税込609円)は高くないです。
環境問題待ったなしの地球で、孤軍奮闘未来を切り開こうとする世界のパイオニアたち、
日本に駐在する外国人記者の目から見た日本、
日本ではお目にかかりにくい各国の映画事情など、
美しい写真を交えた迫力のある紙面展開で、
今までの「クーリエ・ジャポン」の中でもっともいい出来ではないかと思うくらいです。
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