カラマーゾフの兄弟(5(エピローグ別巻))
亀山郁夫・新訳の「カラマーゾフの兄弟」は全5巻ですが、
これはドストエフスキーが考えていた構想「4部+エピローグ」を
そのまま形にしたものだそうです。
最後の「エピローグ」はものすごく短くて、
だから5巻目として独立させたのは初めてだったとか。
第5巻は、この「エピローグ」のほかに、
「ドストエフスキーの生涯」と「年譜(ドストエフスキーの年表)」、
そして「解題『父』を『殺した』のはだれか」が収められています。
この「解題」がすこぶる面白い。
「カラマーゾフの兄弟」を読んできて、どうもひっかかったところ、
なぜかすんなり進めなかったところ、
合点がいかなかった点について
「へー、だからかー」と思わせてくれるんです。
もし、
今までに「カラマーゾフ、途中で挫折しちゃった」とか
「どこが面白いんだかわからない」とか
そんな感想を持った方は、
ネタバレ必至ではありますが、
この「解題」を読まれるとすこしスッキリして、
もう一度読んでみようかな、と思われるかもしれません。
それに先立ち「ドストエフスキーの生涯」もぜひお読みください。
作品を理解するために、著者の生涯を引き合いに出すのは、
ある時代までは当たり前のことでした。
今は「作品は作品、作者の人生とは切り離して、作品として評価する」が主流。
作品を読み解く鍵を、
すべて作者の生活の中に答えを見出そうというのは
ある意味安易なやり方かもしれません。
実人生は実人生、フィクションはフィクションです。
でも、
生みの親を100%切り離すことなんて、どんな芸術もできないはず。
ましてや、自分の体験を多く織り込んである作品ならなおさらです。
「カラマーゾフの兄弟」は、
波乱の人生を送ったドストエフスキーの最晩年の作品。
彼は、自分のすべてを賭けてこの長編を書き上げたようです。
そうした、「彼の芸術の集大成」という面とともに、
「未完」という側面も見逃せません。
序文にははっきりと、この物語の13年後の話こそメインだと書かれています。
でも、「13年後」は書かれないまま、ドストエフスキーは死んでしまいました。
伏線だけが周到に置かれ、永久につながらないまま取り残されている。
それが、「カラマーゾフの兄弟」なのです。
大作だとか、
名著だとか、
ドストエフスキーだからだとか、
そういう先入観を捨てて読み、
自分なりの素直な感想を持ってから
亀山さんの「解題」及び「ドストエフスキーの生涯」を読むと、
もう一歩この小説が身近に感じられる気がします。
やっぱり、
1人の作家に生涯をかけて研究する人はちがうなー、と
つくづく思ったのでありました。
そんな研究家を向こうにまわして、
何をかいわんや、ではありますが、
明日は私なりに感じたことを書いてみようと思います。
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