昭和史発掘(6)新装版
ふらりと立ち寄った三軒茶屋のアンティークショップで、
旧版全13巻のうち、3~12巻を1冊50円で買ったのは、2007年7月のこと。
新装版で抜けている部分を補って読み始め、
しかし「五・一五事件」が終わったところで一段落、
それから1年くらいはまったく進展のないまま
いつのまにやら足掛け4年に。
今年になって、また読み始め、
ようやく「二・ニ六事件」が始まる直前まで読み進みました。
新装版では全9巻ですが、
私が買った旧版は全13巻で、
その9巻まで読んだことになります。
第8巻の最後のページに
「以上で、二・ニ六事件前、在京舞台の~中略)~動きを一応終わることにする。
次巻からは、いよいよ在京青年将校らによる謀議の最終段階に移りたい。」
とあったので、
さあ、ようやく二・二六事件に突入!と思い、
勢い込んで第9巻の目次を見ると、そこには
「二月二十五日夜」が最後の項になっているではないですか!
この1冊読んでも、まだ当日には届かないのね~、と
軽いジャブくわされて始まった読書でしたが、
この「前夜」の物語、ものすごく中身が濃かった。
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言ってみれば、それは「忠臣蔵」の討ち入り前夜の緊張である。
二・二六事件も吉良家討ち入りも雪の夜、というのは、
決して偶然ではない、という。
雪の日には老人は動かないものだから、
襲撃したときもぬけの殻、という確率が低いと考えるのだそうだ。
もちろん、他にもいろいろな要因や偶然もあるが。
彼らは自分たちの行動を「昭和維新」という名で
「明治維新」と重ね合わせるとともに、
赤穂浪士の討ち入りを引き合いに出すことも多かったという。
「国の一大事」を引き起こそうとする興奮が、
彼らをヒロイックにしていた部分がある。
秘密を誰に打ち明けるか、誰には打ち明けないか、
そんな駆け引きから始まって、
いよいよというときに、人間はどう行動するか、などなど、
多分にドラマチックである。
しかし、それをここまで浮き彫りにしたのは
松本清張の筆致と取材力あってこそ。
裁判調書に加え、関係者の手記、
そして執筆当時生きていた関係者の談話などから浮き彫りになる
信念をもって行動した人、
流された人、
やむなくついていった人、
だまされて巻き込まれた人、
偶然が運命を分けた人、
毅然と反対意見を述べた人、
黙認した人、
それぞれの横顔。
獏とした「歴史」がそこを生きた一人ひとりの人生として描かれた、
群像ノンフィクションとなっている。
私が注目したいのは、
この二・二六事件であっても、その前の五・一五事件でも、
具体的に「行動」を回避させたのは、
人間一人の「意見表明」だった、という点である。
自分の意見を持ち、
自分には納得できないことをはっきりと言う。
軍隊という上意下達、命令服従は絶対、仲間意識の濃密な社会にあって、
国とは、軍とは、軍人とは、について日ごろから考え、
体を張って止めるべきは止める、と覚悟した人の周囲では、
「こと」が起こらずに済んでいる。
二・二六事件に関しても、それを予測し危惧し警鐘を鳴らしていた人は、
ある程度いたのだった。
しかし、
肝心のところで、肝心の立場の人間が動かなかった。
あるいは、甘く見た。
あるいは、反対しきれなかった。
どうせ自分ひとりが反対しても、何も変らない、と思ったとき、
あるいは、
自分ひとりが逃げたら卑怯である、と思ったとき、
そして
朋友と袂を分かち、彼らの敵になることはできない、と情に流されたとき、
すべてはなし崩しに進んでいくのだった。
「いじめは、いじめる人といじめられる人だけでは成立しない。
いじめを黙って見過ごしている人がいて、初めて成立する」
という言葉を聞いたことがある。
大事を前にして、
大半の人間は一人で声を上げられない。
だからこそ
「最初の一声」をみな待ち望む。
リーダーの「一声」を。
誰かが「だめだよ」と言ってさえくれれば、
「そうだよ」と呼応する準備はできているのだけれど。
その
「だめだよ」が発せられないと、
「そうだよ」は流れの強い方向に引っ張られる。
数日前まで「時期尚早」と「決起」を否定し、
幾晩も深く悩む姿が目撃されていたという安藤大尉が
一転「行動する」と決めたとき、
歴史の時計の針は動き出した。
彼の人望は厚く、
「彼にならついていく」「彼の判断に間違いはない」と
自分の運命を託した下士官は多かったという。
安藤大尉は深く考え、責任をもって覚悟の決断をした。
たらればの話は歴史に禁物であるが、
彼が首を縦に振らねば、
「軍」として「兵」が出ることはなかっただろうという。
いよいよ、「襲撃」の項へ。
なんの奇遇か、
昨日は東京ドイツ文化センターに行く道すがら、
「高橋是清翁記念公園」を発見。
雨の夜であったが思わず石碑の文字を必死で読んだ。
石碑の正面には、赤坂御所の高い石垣がどこまでも続く。
日本でも「テロ」が身近にあった、昭和11年の話である。
決してフィクションではない。
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