私は「捨てられない女」である。
自分の記憶、自分の思い出は、すべてモノの中に保存されると感じる。
誰かからもらったプレゼントの包装紙だって、
子どもに買ってあげたプレゼントの包装紙だって、
どれも思い出深くて捨てられない~~!!
・・・くらいの女だから、
自分が好きで買ったものは、ぜーんぶ自分の手元においておきたい。
映画のパンフレットも、演劇のパンフレットも、
美術展の図録も、
はたまた、会場で配られたチラシだって、なかなか捨てられない。
そんな私に、えるこみの「ミセスの本棚」より、
「手元におきたい本ってどんな本ですか?」というお題が・・・。
本なんて、「捨てられない」ものの、最たるものじゃないかなー。
感動した本は、ぜーんぶ手元に。
最初は借りて読んだ本でも、「よかったー」という本なら結局買うことに。
今日は、そんな私の「捨てられない本」の中から、
もっとも「私の本棚」を占領しているもののお話を。
それは、
プルーストの「失われた時を求めて」の全集。
なんと、4種類もある。
最初に古本屋で買った新潮社のボロボロの本(井上究一郎訳)。
これは買った時、すでに茶色に変色していた。
なんせ、昭和28年発行の本を、昭和54年に買って、それから既に28年が経っている。
ひもとけば、カビとホコリが舞おうというシロモノ。
その上卒論のために思いっきり鉛筆で傍線を引いたので、見る影もないが、
私にとっては最高の全13冊である。
次に買ったのは、初めてフランスに行ったとき記念に、ちょっと無理して手に入れたプレイヤッド版。
(今は修正版が出ているので、その前のもの)
こちらも昭和55年に買ったのだが、「記念」の品なので、ほとんど中を見ていない。
持ってることに、意義がある。
だから、新品同様。インディアンペーパーの縁がキュッとしまって、今も手が切れそうなくらい。
装丁も重々しい全3冊。
このプレイヤッド版には畏れ多くて書き込みなんてできなかったので、
卒論のためにFOLIO版のいわゆるペーパーバックのような本も買った。
こちらは訳の書き込みと赤線とクリップで、ページがとれちゃった巻もある。
全8冊。
大学を卒業して約20年経った1999年、
朝日カルチャーセンターでプルーストの翻訳家として著名な鈴木道彦先生の講義を受ける。
やさしい方で、昔むかしの卒論も見ていただいて、感激!
あしかけ3年の講義は、鈴木先生の全訳本刊行記念だったので、
もちろんそれも求める。全13巻。サインしてもらった。
最初に触れた井上訳も大好きなのだけれど
「フランス語を知らない人が読んでもわかる文章にしなければ」という鈴木先生の訳は、
これまたこなれていてすばらしい。
とっつきにくいという評判ばかりが先に立つプルーストだが、その世界をしっかりと届けてくれる。
豪華化粧版、ペパーミントグリーンの装丁は、鈴木先生のやさしいイメージそのまま。
表紙や挿絵の絵は、かつて買い求めたFOLIO版と同じヴァン・ドンゲンのもの。
ものすごーく懐かしかった。
失われた時を求めて(13(第7篇))
これだけで、なんと37冊。
映画や演劇のパンフレットもどんどんたまるし、
すぐに書棚はいっぱいに。
「中身は同じなんだから」と、どれか1セットだけを選んで残し、あとは捨てる、なんてこと、
私にはできない。
第一「同じ」じゃないモン。
ボロボロになるまで読んだ本も、
一度として全部読んでいない本でも、
私にとっては、自分の人生の大事な一部分。
だから、
いつまでも手元においておきたい。
*鈴木道彦訳は、文庫にもなっています。(カヴァーの絵はヴァン・ドンゲン)
失われた時を求めて(13(第7篇))
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