子どもが生まれてみると、
自分が読んだ絵本のことが急に思い出されてくるものです。
私が子どもの頃は「キンダーブック」というのがあって、
図鑑ぽかったり、ものがたりがはいっていたりしました。
もっともよく覚えているのは、
くじらの図鑑と、
「だいこんさんとにんじんさんとごぼうさん」
3人(?)がいっしょにおフロにはいったとき、
きれい好きなだいこんさんは洗ってばかり、
湯船が好きなにんじんさんはつかってばかり、
ごぼうさんはあそんでばかり。
それで、だいこんさんは真っ白、にんじんさんは真っ赤、
ごぼうさんは真っ黒のまんまになりました、というお話。
ストーリーはポピュラーで、今もいろんな絵本になっていると思います。
でも、
私は自分が見たタテ長でうすっぺらい「キンダーブック」の中で
アワだらけになっているだいこんさんや
おもちゃで夢中になってあそんでいるごぼうさんや
きもちいい!という表情で口をあけているにんじんさんを
鮮やかな色彩とともに思い出します。
その頃住んでいた、目黒の家の居間の、カタカタなるガラス戸まで
その本越しに見えるのです。
6月3日の日記でも書きましたが、
「シナの五にんきょうだい」や「からすだんなのおよめとり」は、
わざわざ出版社に問い合わせて買ったり、
絶版になったと聞いてガッカリしたものの、数年後に復刻版が出たと知るや、
もう子どもも絵本の年齢は過ぎたというのに、
やはり買いなおしてしまいました。
今の家に引っ越すとき、
絵本はかなり処分してきた。
近くに児童館があって、そこに寄付してきたのです。
どれを寄付し、どれを残すか、
中学生と高校生だった子どもを交えて相談。
その中で、全員が「絶対残す。持っていく!」と言った絵本が、下の2つです。
「カガカガ」と「たぁんきぽぉんきたんころりん」
「カガカガ」は、
アメリカの先住民の神話のような民話。
「神様の使い」という、三角形の顔のヘンな存在が、
「長い尻の毛」をどうこう、という、
「・・・でしたとさ」と言われても、「なんで・・・?」と立ち尽くしそうな、
シュールを通り越した作品です。
絵本の老舗である福音館書店が出版するといったホノボノ系イメージとは
ちょっと違うので、大人の私はそれでまず、衝撃を受けたかも。
「たぁんきぽぉんきたんころりん」は、
サブタイトルに「たんたんたのしいうたづくし」とあるように、
声に出して読まないと本当のおもしろさが伝わらない絵本。
うちの家族が大好きなところは
「あついひに かぼちゃとすいかが かわあそび
かぼちゃぼちゃぼちゃ しぶきをあげりゃ
すいかすいすい にげてゆく
かぼちゃぼちゃぼちゃ すいかすいすい」
ほかにも、「ゆうべみたゆめ へんなゆめ」とか、
おつきさまがふりかえって「ふっふっふ」とわらうとか、
とっても楽しい絵本です。
この2つは、2人ともお世話になった公立の幼稚園で
毎月とってくれていた月刊誌「こどものとも」(福音書館)のシリーズでした。
「たぁんき」は上の子、「カガカガ」は下の子のときに配られたものです。
子どもたちにしても、まさか「時々読むから」残したい、と思ったわけではないでしょう。
その本の中に
「幼かった自分」をとりまく空気が封印されていることを彼らも知っている。
そして
今はそんなこと思ってないでしょうけど
彼らが将来子どもを持ったとき、
きっと
「おとうさん(おかあさん)が子どもの時にとっても好きだった本でね・・・」といって、
この2冊の本の話を自分の子どもにするでしょう。
「あの本、どこにあったっけ?・・・あった、あった!」
「おもしろいだろう! え?ビミョー? そんなことないよ、ほら、ここなんかさぁ・・・」と
小さい子どもたちに自分のシュミを必死になって強要する姿が
今から目に浮かびます。
それは、まさに自分の姿でもあるのです。
本は「宇宙」です。
自分と親と、近所にしか自分の世界がない幼年時代に
それらとはまったく異なる「空想の世界」へ自分をいざなってくれた絵本は、
絶対に手元においておきたい1冊だと思います。
昨日に引き続き「ミセスの本棚」からのお題で書きました。
よかったら、そちらもぜひお立ち寄りください。
「BOOK大賞応援隊」ですから!
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