カンヌやベネチアに続け、と鼻息荒いけれど、
どうも小粒な感じが拭えない東京国際映画祭(TIFF)。
でも、
何かの後追いをする必要はない。
TIFFが始まったばかりのころ、
最初に名物企画となったのは
「東京国際ファンタスティック映画祭」だった。
サブカルチャーがメジャーになった日本だからこその
ヒットだった。
(その後紆余曲折あって、その情熱はゆうばりファンタスティック映画祭に続いている)
同じく、
最近その価値が増しているのが「アジアの風」だ。
ハリウッド映画ばかりになってしまった一般映画館のテイストから離れ、
文化の豊かな多様性とオリジナリティーあふれる天才たちを発見できる
素晴らしい企画である。
HPで見られる予告編を見ても、
アジアの映画には惹かれるものが多かった。
その中でも、
今回は急逝したヤスミン・アフマド監督の映画にうなった私。
すでにレビューを書いた「タレンタイム」の完成度の高さもすごいが、
「ムアラフ(改心)」の直球勝負も感動的だ。
父親の圧制的暴力的な支配から抜け出そうと
家出して生きる敬虔なイスラム教徒の姉妹と
その妹が通う学校の教師で
幼いときに父親がキリスト教的「罰」を言い渡されたことがもとで
信仰に懐疑的な青年教師との交流を中心に、
宗教とは何か、
人を赦すとはどういうことか、
家族の絆とは何かをじっくりと描いた秀作である。
一つの国にたくさんの宗教がモザイクのように混在し、
それが人種の問題、文化の問題と重なり合って
人々の暮らしに時に影を落とすこともあるマレーシア。
ヤスミン監督は、
未来を作る子どもの世代に大きな期待を抱き、
お互いを理解し受け入れる懐の深さと穏やかさを
非常に大切にしている。
しかし、
残念ながらこの作品は、まだマレーシアで上映されていないのだ。
アフタートーク(ゲストは故・ヤスミン監督の妹さん)によって知ったが、
この映画のもっとも重要な部分二ヵ所が検閲によって削除対象となり、
ここを削ったら映画そのものが成立しなくなる、と
監督が絶対に受け入れなかいため上映が許可されなかったのである。
今回、監督の死がきっかけとなり、
その二ヵ所を入れたものが上映許可となったという。
それは
「やれやれ、これでもうこの監督とのバトルはないな」という
安堵感から来るものなのか。
まるで香典代わりのような決定だと
上映を手放しで喜べない気持ちさえ湧き上がる。
先日観た舞台「コースト・オブ・ユートピア」の中で、
ロシアを出てフランスに住みたがる活動家に対し、
フランスに出回っている文化の低俗さを批判し、揶揄する場面がある。
しかし活動家たちがフランスを目指すのはただ一点、
「出版の自由」つまり表現の自由があるからだ。
「コースト・オブ・ユートピア」は19世紀の話である。
19世紀というのは、
直前の1789年にフランス革命が起きて、
ようやく「人権」というものが明文化された時代。
検閲と密告の嵐であったソ連も存在しない。
日本はいまだ江戸時代。士農工商切捨て御免の江戸の末期である。
そんなときに「フランスには出版の自由がある」が特別なのはまだわかる。
しかし、今は21世紀だ。
これは世間に出してよい、出して悪いは当局が決めるのではなく、
それに触れた人々の評価で淘汰されるもの。
そんな、
私たちが当たり前に思っていることが、
今も多くの国では認められていない。
厳しい検閲にパスするため、製作者の意図と異なる編集が支持される。
そうしなければ、自国で上映ができない。
一体何を言いたいのかもわからなくなってしまう場合もあるだろう。
そんな国がたくさんあることを、
私たちは忘れている。いや、知らないでいる。
先日、
イラン映画「シーリーン」について、
「これは商業映画になるのだろうか?」と書いた。
今でも、その点は疑問に思う。
しかしもっと「検閲」について思いを馳せるべきだったと反省。
「自国で自国人に見てほしい」を第一に掲げるのなら、
なにはともあれ、まずは検閲を潜り抜けなければ。
もちろん、自分が訴えたいことを残しながら。
そのための「あの手この手」として、
「脳内上映」という、人間の想像力にすべてを託した方法を
ひねり出したのかもしれない。
東京国際映画祭「アジアの風」は、
自国では許可されていない完全版を世に出すチャンスとして
素晴らしい場所に育っていると思う。
そして、
「シーリーン」のような、「工夫」を目の当たりにして
他国において映画の置かれている立場、
逆に言えば、映画の持っている影響力の大きさを
しっかり考える場にもなりうる。
多くの上映に際し、ゲストによるあいさつやアフタートークがセットされていて
作り手の思いを知ることができるのも、
非常に貴重な取り組みであると知った。
かえすがえすも、
キアロスタミ監督の来日中止が悔やまれる。
「シーリーン」、イランで上映できているのか?
自国の人々の評価はいかに?
知りたかった。
- 映画
- 25 view
東京国際映画祭「アジアの風」の意義
- 多国籍映画・映画もろもろ
- コメント: 0
この記事へのコメントはありません。