「シロタ家の20世紀」は、東京・神保町の岩波ホールで今日が最終日。
90%の稼働率だったそうで、
私が行った10/12も、開場した途端に8割がた席が埋まってしまう盛況ぶりでした。
ここまでのヒットになるのはうれしい誤算だと、
今後も上映の機会を模索しているそうです。
私は
「シロタ家の20世紀」のシロタって、城田? 代田? 白田?
それくらい何も知らないで観に行きました。
シロタって、外国の苗字にあるんですね。
「ナオミの夢」という歌で、
「ナオミ」が旧約聖書にも出てくる女性の名前と知った時以来の
驚きでした。
そういえば、この「シロタ」さんもユダヤ人。
ダンディで、村井国夫さん似のレオ・シロタは、芸大でピアノの先生をしていました。
あの山田耕筰が1928年、ハルピンのコンサートでレオのピアノを聴き、
「ぜひ日本に来て演奏会をしてください」と頼んだのが始めだといいます。
1929年に再来日したレオは、以来20年近く日本に住み続けます。
太平洋戦争のさなかには芸大の教師をやめさせられ、
ほかの外国人とともに、強制的に軽井沢に隔離させられます。
戦後は、請われてアメリカのセントルイスの学校の教官となります。
新憲法に男女平等の項目を入れるよう積極的に働きかけたベアテさんは、
このレオの娘さん。
戦争がひどくなる直前、アメリカの大学に入学して日本を離れていました。
戦争で音信が途絶えた両親を探すため、進駐軍の職に就いて来日したのだそうです。
日本で育ったベアテさんは、
戦前の日本女性の置かれた立場をよく知っていたからこそ、
「男女平等」に強くこだわったといいます。
レオはロシアで生まれ、
9歳でピアニスト、11歳ですでに弟子をとっていたという天才。
弟ピエールも音楽の才能に恵まれましたが、
「あがり症」のためピアニストの道はあきらめ、
裏方の仕事に専念。プロデューサーです。
ピエールはロシアからフランスへ移住し、そこで成功します。
しかし、
どんなに成功したとしても、1940年のユダヤ人に未来はありません。
ピエールは、アウシュビッツの露と消えます。
レオの娘・ベアテはアメリカに。
ピエールの娘・ティナはピエールがつかまった直後にスイスへ脱出。
ピエールが可愛がっていた甥のイゴールは、ポーランドの義勇軍に入り、
最後は「史上最大の作戦」で有名なノルマンディ上陸作戦に参加、
フランスが解放される2日前に戦死します。
・・・というシロタ家の面々の「歴史」を追いながら、
観客は、いったい何を思うのでしょう。
私がもっとも印象に残ったのは、
レオ・シロタという1人の音楽家の存在です。
たくさんの日本人ピアニストを育ててくれました。
その愛弟子の1人、園田高弘さんがまたすごかった。
75歳の記念コンサートの演奏の確かさ。力強さ。表現の豊かさ。
コンサートから1年も経たずに逝ってしまわれたというけれど、
まだまだ弾ける、あと10年は弾ける、という感じでした。
監督の藤原智子さんは、映画「ベアテの贈り物」の監督もしていますし、
亡くなっている人が多い中、ベアテさんは健在で日本語も話せる。
だから、
勢いベアテさんのインタビューなどが多くなります。
私は音楽的なところに多く興味が行ったけれど、
この映画のテーマは実は「憲法第9条」。
それをいうために、
なぜ「シロタ家」なのか。
シロタ家は戦争によって引き裂かれた、
戦争をしないために、憲法9条は大切。
なんとかそれを世界に広げましょう!
・・・というのが、この映画の言いたいことです。
ベアテさんが、映画の中で行っていました。
「(第二次世界大戦という)戦争が終わったとき、これでもう戦争はない、と思いました」
「絶対的にないと思いました」
・・・でも、今もなお、あちこちで戦争が起きている。
それはなぜなのか。
どうしたらなくすことができるのか。
「そうだ、9条を世界に広めよう!」
それが、この映画のテーマなのです。
私は、9条は必要な憲法であると思う人間です。
しかし、
いつも思うことですが、
護憲派・反戦派が作るプロパガンダは、
どうしてこんなにも同じ感情しか生み出せないのでしょうか。
「戦争は悲惨だ」「戦争は不毛だ」「戦争は嫌いだ」
「理想論だと笑われるかもしれないけれど、
現実を理想に近づけていくのが人間の力ではないだろうか」
私が物心ついた時から、同じことしか言われていない。
「戦後は終わった」の昭和30年代、
日の丸・君が代問題、靖国参拝問題噴出の昭和60年代、
ベルリンの壁の崩壊、多発する民族紛争、
そして9.11、「テロとの戦い」・・・・・・。
時代は、そして世間の考え方は、ものすごい勢いで変わっているのに、
改憲を叫ぶ人たちはどんどん多くなっているのに、
警察予備隊、自衛隊、PKO活動、インド洋での給油、イラクへの駐留、
「専守防衛」も「集団的自衛権」も、
憲法第9条のもと、ガンガン解釈が変わり、形も変わっているのに、
護憲派はなぜ同じことしか叫ばないのだろう。
自分たちと違う考えの人たちを振り向かせられるような視点が、
どうにも不足しているように思えてならない。
「そうだよね。戦争はいけないよね」と
シンパシーをもっている人たちだけで手をつないで、
うなずきあっているだけでいいのかしら。
そういう人たちだけでこの「シロタ家の20世紀」を見ていて
9条を守ろうとする人は増えるのかしら。
9条を残したい私でさえ、スクリーンに向かって疑問が続出。
「あなたの残したい9条は、自衛隊を容認する9条? しない9条?」
「ナチの戦車は悪魔で、ノルマンディー作戦の戦車は英雄で、
それでも“戦争はいけない”って言えるの?」
「レオが戦時中の日本で冷遇された時、
周りの日本人はどんな思いで、何をしていたの?」
この映画は2008年キエフ国際ドキュメンタリー映画祭で、
「審査員大賞」と「根源的な調査方法に対する賞」を受賞しています。
いわゆる「よくぞここまで調べたで賞」を獲得しただけのことはあります。
そして、
「ポグロム」をはじめとするロシアにおけるユダヤ人迫害について、
容赦なく言及しているこの映画を「大賞」に選んだキエフの映画祭の審査員たちも、
肝がすわっています。
しかし、
日本人監督が、日本語で作ったのですから、
もっと日本人につきつけられるものがあってよかったのではないでしょうか。
「へえー、そんな人が日本に住んでたんだー」で終わらない何か、
日本人に
自分にとっての20世紀を、そして21世紀を考えさせる何かが、
この映画には足りなかったと感じました。
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