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「Peace Bed アメリカvsジョン・レノン」

1970年代、
私たちが、何も考えずに歌っていた
ジョン・レノンの「Love」そして「Oh My Love」。
こんなフツーのラブソングでさえ、
当時のアメリカでは「反戦」の意味を持っていたなんて・・・・・・。
「愛し合おう」というのが、「人殺しはいやだ」の裏返しとなり、
国家反逆ののろしとなる時代だった。
「ベトナム戦争についてどう思いますか?」と聞かれて
「ノーコメント」で通せなかったジョン。
売り物としての歌手に収まっていれば、チヤホヤされたものを、
自分の意見を言い始めたためにバッシングされた。
「Peace Bed」の意味も、私はよくわかっていなかった。
私生活に土足で踏み込むマスコミを逆に利用し、
「Peace」の張り紙を絶対に一緒に入れることを条件に
ベッドルームの取材を許可したのだ。
ダブルベッドにジョンとヨーコ、そして周りの人々と歌う
「Give Peace a Chance」。
あの臨場感あふれるレコーディングの裏に、
「Peace Bed」の運動があったことさえ、私は知らなかった。
しかし、国家権力は思い知ったのだ。
大規模なデモでこの歌が歌われたその時に。
「歌」は、「アート」は、「ラブソング」は、民衆を動かすということを。
ジョン・レノンの存在、そのものが脅威だということを。
大きな紙袋に二人すっぽり入ってのインタビューも人をくったやり方だった。
世間には、その「エキセントリック」さばかりが先に立って、
ヨーコ・オノなんか、「東洋の魔女」(意味がちがうけど)とかいわれて、
ヨーコのせいでジョンはおかしくなったと思われていた。
バッグの中に二人。
そこから二人は声を出してインタビューに答える。
「こうすれば、僕たちがどんな人種かとか、髪や肌の色で先入観を与えることがない。
 真の自分たちを見てもらえる」
なんてスゴイ思いつきだろう!
それを、オトナたちは「イカれてる」と斬って捨てた。
コドモたちは、ただのイタズラをやらかしてくれたといって喜んだ。
彼らが見ている遠く遠くの真実は、
なかなか届いてはくれなかったのかもしれない。
でも、
あれから30年経って、
ジョンのすべてが納得できる。
今の人間なら、誰でもわかることだったんだ。
世界中に「戦争は終わる、みんなが望めば(War is over if you want it)」という
でっかいポスターを貼ったのだって、
今だったら、ネットで呼びかけて一斉にイベントをやるそのさきがけみたいなものじゃないか。
早く生まれすぎた?
いや、
ジョンがいたから、今がある。
ジョンの歌という共通語があるから、
私たちはつながっていける。
9.11の翌朝。
世界中で流れた歌は「イマジン」。
まだ戦争は終わらないけれど、
「決して絶望しなかった」ジョンを見習って、平和を唱えていきたい。
「Peace Bed アメリカvsジョン・レノン」。
歌声の持つパワーに、改めて思いを致す2時間。
「懐かしさ」ではなく、「同時代」としてのジョンに会える。
若々しく、希望に満ちたジョンとヨーコの幸せそうな顔がまぶしい。

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