1964年東京オリンピック開催直前の日本を記録した「東京都」。
あれから45年、
「現在の東京をまた撮ってくれ、と言われたら、一体何を撮りたいですか?」
司会の石坂氏が質問しました。
カメラマンの奥村佑治氏は、
「いっぱいありすぎて、しぼれませんね・・・」と迷いに迷った挙句、
「若者の世界を撮りたいです!」
そして土本監督は・・・。
「ニートとかフリーターといった非正規雇用の人たちの存在が、
今問題になっていますが、
彼らの出現は、戦後の東京の問題です。
月収手取りが10万から、多くても20万。
それよりひどい、外国人労働者、研修生名目で働いている人たち。
結局、東京は、こうした”収奪される人々”がいなければ成り立たない町なのです。
それは、あの頃から変わっていない」
かつて「東京都」以外の県の回を製作するため、様々な地方をロケしながら、
次々と東京に出て行く人々を見て、
(この人たちは、一体どうなっていくのか?)と思ったその疑問が
「東京都」の回に集約されている面もある、土本版。
社会から疎外されながら、その社会の繁栄を支えている人々に対する
熱い思いは、
45年たっても一貫して変わっていないのです。
変わらないのは、各務監督も同じ。
「現在撮るなら、地球温暖化の話は避けて通れないと思います。
今のこの、ビルの林立する東京の生活で、一体大丈夫なのか・・・」
彼もまた、焼け野原から始まった「東京の建設」の行く末に
今も視線を注ぎ続けていました。
各務監督は続けます。
「皆さんに、記録映画をたくさん見てほしいですね」
昭和30年代というのは、
今ノスタルジーをもって語られます。
日本人が獲得した新たな「古き良き時代」。
映画「三丁目の夕日」は、そうした私たちの甘い追憶の中で作り上げられた
「夢の中の東京」「思い出の東京」「そうであってほしい東京」です。
記録映画を見てみると、
(記録映画とはいえ、それは演出もあるし、意図もありますが)
ゴツゴツした生の手触りが、ハッとさせる。
見たくないもの、忘れていたものも含めて、
本当の記憶を呼び覚まさせてくれるから。
そのことは、土本監督の「路上」を見ると、
さらに強く感じます。
・・・ということで、明日はその「路上」についてレビューを書きます。
「トーク」の報告に
長い間、おつきあいいただきありがとうございました。
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