昨日も書きましたが、溝口健二の金字塔は、ベネチア国際映画祭で、1952年から1954年まで、
なんと3年間連続受賞し続けたことです。
溝口監督とそのスタッフ(特にカメラの宮川一夫)の妥協を赦さない仕事ぶりは、
他の追随を許しません。
その一つの金字塔が、「雨月物語」です(1953年のベネチアで銀獅子賞)。
上田秋成の短編怪談小説集から「浅茅が宿」と「蛇性の婬」がモチーフとなっています。
この作品に出てくる人物は、みな金や名声に弱い、どこにでもいるような庶民です。
貧しい生活に飽き足らず、一攫千金を夢見て都で一旗あげようと意気込む男たち。
今の生活を守りたいと願いつつ、ただ流されるしかない女たち。
正直者の心に、一瞬魔がさす、そのときの表情を逃さない溝口監督と宮川氏のカメラ、
そして俳優たちに脱帽です。
昨年、恵比寿のガーデンシネマにて、初めて大画面で見ました。
美しかったー。
画面の隅々まで、一つもないがしろにされていない映画です。
もっとも印象的だったのは、初めて京マチ子が登場するシーン。
にっこり笑った顔がどアップになるんだけど、ほとんど能面そのままでした。
「あっ、こういうお面、見たことある!」って感じ。
すごい。顔が芸術品・・・・・・。
それが、森雅之に捨てられそうになると、これまた般若のような顔になるんです。
こっちは、表情というよりメイクの妙かな。
福々しかった白い顔が、目のつりあがった悲壮な形相になります。
乳母の仕草にも脱帽。静々と家に入りながら、小袖の上半身だけを、
上手に脱いでいきます。舞を舞うようにムダがない。
舟のシーンも、やられましたね。
船頭役の阿濱の姿が、霧の中からぽっと出てくる。・・・・・・と、みるみるうちに
舟の先端が大きくなって、私たちの目の前に!
逆も。
漕ぎ出したと思ったら、すーっと消えていく。
この「霧」、作り物なんですよね。信じられん。
そして、最後は亡霊の田中絹代。
撮影のずーっと前から、どう演技しようか考え続けていた、という話を聞いてからそれを見ると、
無邪気に子どもを抱く森雅之の顔をじーっとみつめながら、
静かに涙する彼女のアップは、たしかに「亡霊」でした。
「絵巻物のように撮りたい」と言っていたという溝口健二。
最初と最後に田畑が映ります。その田畑には、耕す人がそこここに。
大きなスクリーンだと、彼らを配置した意味がよくわかります。
「世の中で一番こわい物語は、上田秋成の雨月物語だと私は思うね」と、
中学の国語の先生が言ったので読んではみたものの、
何がなにやらまったく理解できなかった当時の私。
40過ぎて「オソロシー」と背筋が寒くなり、ようやく先生の域に達した感あり。
人生経験積まないと、わからないモノが多いということでしょうか??
でも、映画は小説より100万倍わかりやすいですから、若い人もぜひ見てください。
どの場面も見逃せませんが、私は、通りすがりの修験者が、
京マチ子演じる妖艶な姫にとりつかれている森雅之の顔をひと目見て、
「魂を吸いとられている」と警告するところに、強烈な印象を受けました。
ぞっとした、というのか、カラダが縮こまったというか。
人によって、感じ入るところが違うと思いますよ。
*2006年8月28日及び9月5、16日のMixi日記をもとにまとめました。
*「雨月物語」は、以下のdvd-Boxに収録されています。
ただ、この週末2/17(土)から週明け2/20(火)にかけてお時間のある方は、ぜひスクリーンで!
溝口健二 大映作品集vol.1 1951-1954
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