【東映まつり】★ まぼろしの邪馬台国(DVD) ◆25%OFF!
地元長崎での土器発掘をきっかけに、邪馬台国に魅せられ、
盲目というハンディをものともせずに邪馬台国の場所の比定に後半生を捧げた
宮崎康平(「崎」の字は本当は外字)と、
その康平を生活面・研究面ともに支えた二度目の妻・和子の物語。
康平に竹中直人、和子に吉永小百合で、
「私があなたの目になります!」っていう予告編をいやというほど見せられ、
「またお涙頂戴の良妻賢母物語を天下の吉永小百合で作ったわけ~??」
ってな食わず嫌いでこれまで一度も観ようと思えませんでした。
ところが観てみると、思いのほかひきつけられた。
まずは吉永小百合。
さすがの演技にまいりました。
彼女はこれと「母べぇ」の両作品で第32回日本アカデミー賞〈授賞式は2009年)の
最優秀主演女優賞にノミネートされたわけですが、
「母べぇ」よりこちらのほうがずっとインパクトがあります。
食べるものにも事欠くような、極貧の田舎生活で、
きたならしいとはいわないけれど、くたびれまくった和子がいて、
でもお偉い人と会ってお願いごとをするときには、身綺麗に装い、
それなりに女性としての色気を醸してくどかれたり親切にもされ、
最後は康平のイメージの中の卑弥呼になって、
凛とした巫女かつ女王として君臨する姿を見せる。
この卑弥呼がすごい。
卑弥呼ってもちろん誰も見たことないのに、
なぜか「こうでなければ」的な思い込みがあって、
これまでだれが扮しても違和感があったのですが、
今まで見た卑弥呼の中で、一番フィットしていた。
威厳はあるけれど、ギラギラしていない。
何の台詞も発しないけれど、国を思う強さがオーラとなっている。
支配者としてでなく、巫女としてあがめられる部分が
たった数カットのなかに凝縮されていた。
「映画女優」は、こうでなくては!という輝きである。
ほかに、
最初の妻役の余貴美子も迫力があった。
二人の子どもをおいて家を出た負い目を吐露する告別式の場面では、
思わず涙。
余だけでなく、それを受けて立った吉永も見事で、
この二人のあうんの呼吸!
その場面に居合わせた弔問者役の俳優たちが流す涙は、
ホンモノだったのではないだろうか。
話のほうは、九州観光案内的フィルムコミッション満載映画の一面もあって、
きれいだけど間延びしていたところもあったものの、
「魏志倭人伝」にのっとって九州を歩き回る康平と和子の旅に
だんだん見ている自分も同化していき、
ともに邪馬台国を探している気分になるところが
この映画の醍醐味かもしれない。
歴史好きの私にとって、これは食わず嫌いしてはいけない映画であった。
もうひとつ、びっくりしたことがある。
「おどみゃ島原の、おどみゃ島原の…」で始まり、
「おろろん、おろろん、おろろんばい」で終わる「島原の子守唄」が
この宮崎康平の作詞・作曲だったとは!
始めは島原伝承の子守唄が元になっていると考えられていたが、
康平が最初の妻に去られ男手一つで二人の子どもを育てていたときに、
自分で作って唄った子守唄なのだということが、
あとになって認められている。
「逃げた女房に未練はないが~」ではないけれど、
竹中直人がなかなか寝ない子どもたちを抱いて揺らし、
あるいは布団をポンポンたたきながら、
貧しい子守女中の心境やからゆきさんのことなどを歌にして、
うつろな目でぼそぼそと歌っている光景が目に見える。
かんしゃく持ちで、変わり者だった康平に最後まで寄り添った和子は、
「支えた」というより、彼女もまた変わり者だった、ともいえよう。
そこには、二人にしかわからない、強い愛情が通っていた。
予告編をちょっと見ただけではわからなかったけれど、
全編を通してこの夫婦と歩みを共にすると、
そのことが体に伝わってくる。
人の世のつれなさも暖かさも、
成功すると掌を返したように寄ってくるあさましさも、
すべて表された優れた作品である。
監督は、堤幸彦。
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