ナニー・マクフィーの魔法のステッキ
かたいおハナシが続いたので、ファンタジーな映画を一つ。
葬儀屋を営む男には、7人の子どもがいた。
妻はまだ赤ん坊の末の子どもを残して死んでしまったから、
子育てはタイヘン。
ナニー(乳母のような、養育係の人)を雇っても雇っても、
子どもたちの度を越したイタズラに、すぐやめてしまう。
そこに現れたのが「ナニー・マクフィー」。
マクフィーばあやは顔にイボが二つもあって、前歯が1本欠けてて、
気味の悪い、ヘンな人。
「どうせこいつも、すぐに追い出せる」と子どもたちはタカをくくっていた。
しかーし!
いつも持っている杖で、彼女が床を「ドン!」ってたたくと、
やり始めたイタズラは途中でやめられなくなるし、
仮病を使って寝ていようとすると、体がベッドにはりついて起き上がれななるし、
フシギなことが次々起こる。
「この人、魔女??」
やりたい放題だった子どもたちは、
「おそろしさで」マクフィーばあやの言うことを聞くようになる。
・・・そう、初めは「おそろしさ」で。
ちゃんとした言葉遣いをしたり、「お願いします」をつけて頼んだりしないと、
タイヘンなことになりそうだから。
ただ「おそろしい」だけのナニーだったら、
かえって子どもの教育には悪いと思いません?
でも、このナニーは、子どもたちが「お願いします」をいえるようになると、
次の段階に入っていきます。
マクフィーばあやは何でもできると思うと、子どもたちは希望をかなえてもらおうとする。
でも彼女はいう。
「考えて。自分で考えるのよ」
「ちゃんと責任をとれる? どんなことになっても自分で責任をとるのなら、邪魔はしない」
これ、子どもたちにも難しいことだけど、
母親にとってもなかなかできないこと。
「自分でやるのよ」はよく言うけど、
「自分で考えるのよ」には、なるほどー、と思いましたね。
マクフィーばあやは、父親にも一つ、注文をつけます。
それは「聞く」こと。
いまはやりのコーチングでいうと、「傾聴」ですかね。
子どもの言う言葉に耳を傾ける。
これも、できそうでできませんね。
それにしても、イギリスの子どもたちっていうのは、
日本に比べて母子密着度が極端に少ないように思います。
子どもたち(兄弟)だけで、という物語、多いですよね。
ピーターパンもそうだし、ナルニアもそうだし。
(ナルニアは戦時中疎開している子どもたちに聞かせた話だから、親はいなくて当然ですが)。
空をとぶベッドの話もあったな。
お手伝いさんの目を盗んで部屋から逃げ出して遊ぶとか、
そういうの、目につきます。
マクフィーばあや役にエマ・トンプソン。
彼女は脚本も書いたそうです。
子どもたちのイタズラや、
イタズラされても仕方ない、と思うくらい意地悪な大人たちの滑稽さにゲラゲラ笑いながら、
気がつくと家族の愛情を再認識する
そんな心温まるお話。
できすぎっていえば、できすぎですけど。
マクフィーばあやって、本当は何者だったんだろうね?と
見終わったあと、子どもたちと話すのも楽しいかもしれません。
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