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「わが教え子、ヒットラー」

1944年12月。
一時期全ヨーロッパを支配下に置く勢いだったナチス・ドイツにも、
影が射してきた。
戦況は悪化の一途をたどる。
首都ベルリンもガレキの山。
戦意を喪失しそうな国民の気分を高揚させるべく、
宣伝大臣のゲッペルスは、
新年早々、ヒットラー総統の大演説会を企画する。
「1939年当時の炎よ、再び!」
ところが。
もっとも戦意を喪失しているのは、ヒットラーだった!
心身ともにダウンして、鬱状態の総統にカツを入れようと、
ゲッペルスは以前ヒットラーの演説指導をした男を呼び出す。
その男、アドルフ・グリュンバウム氏は、名優であり、かつ教授。
そして、
ユダヤ人でもあった。
収容所から連れ出されたグリュンバウムは、
憎きヒットラーの「指導者」である間は身の危険はない。
家族を呼び寄せ、ささやかな(しかし最大の)家庭の幸せを手にするも、
ユダヤ人全体のことを考えたら、
もっとも身近にいる自分がヒットラーを殺すのが一番だ!
そんな葛藤を抱えながら、日々総統と相対するうち、
グリュンバウムとヒットラーの間には、
不思議な絆が生まれようとしていた。
ゲッペルスはなぜ、ユダヤ人などを連れてきたのだろう?
タブーに踏み込んでまでの、「ありえない」アイデアに、
眉をひそめる要人もたくさんいた。
しかし、そこはゲッペルス。
自分の首をしめるような、矛盾だらけの政策には、
「ユダヤ人の最終処理」に向かっての、
おそろしい計画が潜んでいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ナチスって、ヒットラーって、こんなに悪いことをしたんだ!」と
言えば言うほどナチスの力がすごかったって喧伝することになってしまうから、
おちょくってしまえ!
・・・という映画である。
「こんなヤツのために、みんな命をかけてたのか!」
・・・と情けなく思うようにできている。
その意図はよくわかるし、
こういうやり方もあるだろう、とは思うけど、
史実を使って大ウソをつくというのは、難しいものだ。
「へー、ユダヤ人が指導者だったんだー」と思って見始めてしまった私は、
「こんなことはありえないだろー」という違和感から離れることができなかった。
パンフレットを読んでわかった。
「演説の指導者はいた」が、ユダヤ人ではなかった!
「まーじでー????」
だまされましたよ。
だって、予告編のコピーが
「実話から生まれた感動のヒューマンドラマ」ですよ!
ベースは実話だと思うでしょ。
ベースって、「演説指導者がいた」じゃなくて
「その人はユダヤ人だった」と思うでしょ。
実際のニュースフィルムなんか駆使しちゃって、
ホンモノっぽくしてるから、タチが悪いです、はい。
こういう場合、
「外」に見えている事実は一切変えず、
「内」での出来事をガラリと変えて、「こうだったかも」と思わせるのが
常套手段なんですが、
この映画は、「外」の事実まで変えちゃうんですよ。
最後の最後に
「ウソだぴょ~ん」とわかるウソをつかれて、
「じゃ、今までの全部ウソ??」と愕然としてしまったわけです。
フィクションとノンフィクションの境目が破綻してしまうと、
このテの作品は説得力を失います。
あえて「ユダヤ人」にした、その意味までが、
陳腐に見えてくるからもったいない。
マジメにウソをつく時は、よっぽど気をつけないとね。
さて、
この映画で私が「肌で感じた」ことがあります。
それは、
当時のドイツの映画監督・リーフェンシュタールが、
戦後、ナチスの協力者として糾弾され、
文化芸術の場から長く追放の憂き目に遭ったことについて。
リーフェンシュタールは、
ベルリン・オリンピックの記録映画「オランピア」の監督として有名。
この作品の美しさ、質の高さは定評があります。
しかし、
どんなに素晴らしい映画でも、ナチスの宣伝のためのものですから、
「協力者」として糾弾されました。
(だけど、映画監督なんだから、しかたないんじゃないのかな??)
(いいもの作ろうと思って、いいものできて、それで罪になるの??)
(そんなこといったら、オリンピックに出た選手だって、協力者にならない??)
私は今まで、心の中でそんなふうな疑問を抱いていました。
しかし、
今回、この映画を見て、
「ああ、リーフェンシュタールは、責任を問われて当然だ」と思い直しました。
映画の中で、
ゲッペルスは、ヒットラーが新年の演説をするにあたり、
会場までの道のりを、オープンカーでヒットラーがパレードしながら進む
という構図を考えます。
しかし、
それをやるには、ベルリンの中心部は破壊しつくされている。
「どんなに爆弾が降っても、わが首都ベルリンは不滅だ!」・・・と、
どこかの国の神風神話みたいなことを言っているのに、
実際はガレキの山。
そこで、
パレードはできるだけ「きれい」なところを通り、
それでも見えてしまうところには「塀」を立てて
見えなくしちゃおうっていう魂胆。
まあ、工事中の塀みたいなもんですよね。
リーフェンシュタールに、その「街並み」を撮らせる。
ウソのベルリン、虚栄のベルリン、幻影のベルリンを撮って、
ドイツ国民に「爆弾が降ってもベルリンは死なず」を信じさせるために!
1944年12月。
ヒットラーがどんなに威勢のいい演説をしたとしても、
その道すがら、
ボロボロのベルリンが写されていたら、
人々はみんな察したはず。
そう。
リーフェンシュタールの映画は、「大本営発表」。
まるで事実のように映画を撮る。「やらせ」です。
だから、ドイツ国民は怒った。
彼女の映画を「信じた」からこそ、怒った。
彼女に他の選択があったかといえば、
きっとなかったでしょう。
物語の中のグリュンバウムのように、
映画か、死か、といわれ、映画を選んだのかもしれない。
彼女を簡単に非難することはできません。でも、
責任があることは変わらない。
ものを作る、発言する、ということは、
それほど重いものなのだと改めて思い知ります。
(史実として1944年の記録映画に彼女が関わったかどうかは不明。
 この時期、記録映画を撮ったかも不明。
 なんてったって、“大ウソ”映画。何か真実かわかりません)
さて、
そうなると、ユダヤ人をヒットラーの指導者にしちゃったこの映画の責任は?
目くじら立ててあげつらうほどの責任は、発生しないと思います。
監督のレヴィさんが、ユダヤ人だっていうのも、文句つけにくい条件の一つ。
だけど、
レヴィさん、お母さんが1939年にドイツからスイスに亡命してる。
ドイツからみたら地球の反対側に住んでる私だって、
ユダヤのホロコーストについてはかなり知ってるわけだから、
レヴィさんもいろいろ知った上で作ってるんだろうとは思うものの、
どこか浮き世離れしてるんだよね、ユダヤ問題が。
才能のあるユダヤ人は、収容所でも珍重されたけど、
自分の「意思」をもって生きられていたわけではない。
また、
ユダヤ人を差別していたのは、ヒットラーや要人たちだけではなく、
広く一般人に根深いユダヤ差別の感情があった。
ゲッペルスとヒットラーはいいとしたって、
他の人たちが絶対許さないことがあったんじゃないか?
政府の建物の前で、警護の人たちとグリュンバウムの子どもとが遊ぶところなど、
人の「気持ち」としてありえないんじゃないか、と思いました。
ユダヤ人は「人間じゃなかった」時代の話ですから。
本当に収容所に入れられた人たちは、
この映画をどう見たんだろうか。
それとも、
深刻に考えちゃう私の感覚がおかしい?
エンディングで
「ヒットラーを知ってますか?」といろいろな人に聞いています。
「知らない」という子どもがいるのも、けっこう衝撃的です。
「わが教え子、ヒットラー」は、東京・渋谷のル・シネマなどで上映中です。

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