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「コーラス」


コーラス メモリアル・エディション
第二次世界大戦が終わって4年の1949年。
日本でも昭和24年といえば、
まだまだ「浮浪児」と呼ばれた戦争孤児があちこちにいて、
靴磨きをしたり、ヤミ市で使い走りをしたりして
懸命に日々を過ごしていた。
戦争が終わって4年も経てば、
立ち直れる人は立ち直れる。
必死で戦争の傷跡を消そうとがんばった結果、
戦争を思い出させるものは後ろに、後ろにと追いやられる。
この映画は1949年のフランスの片田舎の、
「沼の底」という名前をつけられた寄宿制児童更正施設でのお話。
もう、こいつら、沼の底に沈んじゃえ!みたいな感じ?
「ミス・サイゴン」でジョーがアメラジアンたちを「ゴミため~♪」と歌う感じ?
いわゆる孤児院ではなく、なんらかの理由で子どもを預けている、というところ。
子どもがいては働けない母親とかね。
戦争で夫を亡くした人もたくさんいただろうし。
今でいえば「児童養護施設」なんだけれど、
「養護」してない。「更正」が目的。
だから先生というより監守、学校というより少年院、の匂い。
入れられている子どもたちは、大人に信用されてない。
そこに「いる」だけで罪な存在なのだ。
そこにあたらしく赴任してくるのが、マチューだ。
本当は音楽の道を歩みたかったが、
挫折して身過ぎ世過ぎの生業として寄宿舎の監守になる。
でも、子どもたちへのあまりにキビシい対応に、
マチューは心がついていけない。
「こいつらは何をやらせてもダメなんだ」と決めつけ、
子どもたちにひとかけらの愛情も持たない校長の目を盗み、
マチューは「合唱」を教えていく。
子どもたちにすれば、
今まで大人は決めつけと体罰とでしか自分たちと向き合ってくれなかったのが、
いきなり自分たちを肯定したり、かばったり、やさしい言葉をかけたりしてくれるので、
最初は戸惑うばかりだ。真意がわからない。
けれど、
てんでバラバラでイタズラで投げやりで騒々しかった子どもたちが、
合唱を通して次第に一つになっていく。
心が落ち着いていく。生きることが喜びになる。明日が待ち遠しくなる。
笑顔になっていく。瞳が輝く。子どもらしくなっていく。
美しい楽曲のハーモニーと天から降ってくるようなボーイソプラノが
本当に心地よい映画である。
「おしえられていた」音楽を、最後「自ら」歌う、というのも
そこに自主と自律の精神も見えて、学校ものとしてうまい。
フランス映画らしい皮肉っぽいところとか、
ユーモアのあるところとか、
ところどころにアクセントはあるものの、
全体的にのどか。
ある意味、今の時代に似合わないほど牧歌的。
だから、
へんにこじつけて設定を現代にせず、
この話を「現在音楽家として成功している元生徒ピエールの帰郷」を発端とした
マチューの日記の再現、という形で昔語りにしているのは
非常に成功していると思う。
昔「ウィーン少年合唱団」の映画を観たときの印象に似てる。
でも、あれは最初から「天使が神に捧げる歌声」なのに対し、
こちらは「悪ガキだって、ちゃんと愛してあげれば、
子どもは本当は、誰でも天使なんですよ」の話です。
大人の寓話として、ほのぼのしたいい映画だと思いました。
小規模上映から始まってフランス全土に広がり、
世界的にもヒットした、という理由がよくわかります。
人間、時には美しいものを見ないとね。

ピエールがソロを歌うんだけど、いい声してるんですよー。
マチューが「この子はすごい!」って思うの、わかります。
歌はリヨンのサン・マルク合唱団が引き受けてます。

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映画のサントラも売れに売れたとのこと

オリジナル・サウンドトラック コーラス

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