ミステリーの女王、アガサ・クリスティが「生涯のベスト10」に自ら選び、
横溝正史もクリスティの作品ベスト10に選び、
クリスティのファンクラブもベスト10に選んだという
「ゼロ時間の謎」。
「ゼロ時間」の意味は、映画の冒頭、登場人物の口を借りて説明される。
「殺人が起こると、そこから事件が始まったように勘違いしがちだが、
実は、殺人は結果であり、事件はそれまでの生活の中でふくらんでいる。
殺人という事象が起きるまでが事件。その時点を『ゼロ時間』という」
一つの死が起こる前の、あのエピソード、この会話、
すべての事象に細心の注意を払い、
どれが殺人という「ゼロ時間」への一里塚なのか、見逃さないようにしなさいよ、
という、作者のメッセージのように思えた。
今、ちまたにはミステリーがあふれている。
「名探偵コナン」あり、「金田一少年の事件簿」あり、
人気の連続ドラマ「相棒」もそうだし、「古畑仁三郎」も。
ホンモノ(?)の金田一が出る横溝正史もの、
「古畑・・・」の下敷きとなった「最初から犯人がわかっているミステリー」の金字塔「刑事コロンボ」。
その他「浅見光彦シリーズ」や赤川次郎のものも人気が高い。
「二時間ドラマ」といわれるものは、ほとんど「ミステリー」。
「連続殺人」「密室」「アリバイ」「相続」「乗り物トリック」「出生の秘密」などなど、
私たちは、ありとあらゆる殺人トリックと
思いもつかない被害者の過去の種明かしを、
常に崖の上で聞かされ続けてきた。
アガサ・クリスティやエラリー・クイーンなど、
ミステリーの緻密な構成と重厚な筋立ては、
それらのお手本として、下敷きになったり同じトリックが使われたりしたものだ。
そういう目で
この「ゼロ時間の謎」という映画を見てみると、
「相続問題」「元妻と現在の妻」「愛人」「初恋」
「セレブな生活」「使用人の鬱屈」
「密室」「豪雨」「船」そして、「崖」。もちろん、刑事も。
ミステリーに欠かせないものは一つもない、というほど
お膳立てができている。
しかし、その分「既視感」も強い。
ひと昔前なら、すべてが新鮮で、
「一体どうなるんだろう??」と食い入るようにみつめていた。
しかし、
今や大御所アガサ・クリスティの作品といえど、
観客の目は鋭い。
「こういう分かりやすいヒール役は、絶対真犯人じゃないよね」
「アリバイがしっかりしすぎてる。怪しい」
「このクローズアップは、きっと後からこのシーンが重要な鍵になるのでは?」
などと、
二時間ドラマで培った(?)カンを働かせる。
もしかしたら、担当刑事になった男・バタイユ警視より、
観客の方が真剣に謎解きしてるんじゃないか??
たまたまブルターニュの海岸に家族でバカンスに来ていたのに、
ひょんなことから(有名な警視ということになってる)この事件を引き受けるハメになったためか、
なんだかやる気なさそうなそぶり。
それがカレのスタイルなのかもしれないが。
(バタイユ警視には、ポワロや古畑みたいな一瞬ギョッとするような鋭さが、どうも見えない。
ここらへんが、他の「名作」のように早々と映画化されなかった理由?)
そして、最後の種明かしの場面。(崖の上ではありません)
「あいつは犯人じゃない」は大体予想通りだけれど、
「じゃあ、いわくありげなあのシーンは、このシーンには、
一体何の意味があったの~~~???」と
思ってしまうかも。
「二時間ドラマの犯人は、始まって5分で当てる」をムネとしている私ですが、
いまだに第一の死は、いつの時点で仕込まれたのかわからない。
犯人があの人でもかまいませんけど、
追い詰め方にははっきり言ってナットクいかない。
これで犯人、自白しちゃうんでしょうか??
こんなゆるい捜査で大丈夫なのかなー、と
ちょっと心配になったりします。
「ミステリー」というより、
ヨーロッパのお金持ちの人間模様を観察する映画かも。
本音をかくし、だまし、だまされながら豪奢な生活を続ける人々と、それを支える使用人たち。
いずれの胸の中にも、殺伐としたくぐもりが貯まっていく。
「ゼロ時間」は、
この「胸の中」で時を刻む時限爆弾のことを言うのかもしれません。
- 映画
- 6 view
この記事へのコメントはありません。