第二次世界大戦が終わってかなりたった頃。
ある豪華客船に、二人の女性が乗り合わせる。
一人は収容所に入っていた女。
もう一方は、ナチ親衛隊将校で収容所の看守をしていた女。
人々を虐待した日々を告発されるのではないかと、元看守は生きた心地もしない。
船という限られた空間の中で、二人の回想が交錯する(1964ポーランド)。
緊迫感でぐいぐい見せる映画です。
無言の圧力が、人を追いつめます。
それは、まっすぐにみつめる「眼」の力の凄まじさでもあり、
自分の中にある「後ろめたさ」がとてつもなく重く大きいからでもあります。
人間は、生きる社会が変われば顔も変わります。
日本でも、戦前、戦中、戦後と、
一貫して同じことを言い続けられた人はほとんどいません。
社会に迎合するのが嫌で、筆を折った人もいます。
いつか戦争が終わった時にと、出版できない本を書き続けた人もいます。
自分が教え子を戦争に送り出してしまったという責任の重さから、
教師の中には、戦後、二度と教壇に立つまいと決意した人もいます。
でも、大多数の人たちは、
その社会でもっとも生きやすい自分になって生きていったと思います。
生き抜くこと。人生を楽しむこと。社会の波に乗ること。
ちょっと「いやだな」と感じることがあっても、「しかたがない」と割り切って。
戦時中という究極の環境でなくても、
たとえばクラスや社内にイジメが起こった時。
考えてみてください。
あなたは、「それはおかしいんじゃないの?」と
自分の良心や信条に従って、堂々と言えますか?
「あの人に罪はない」と、その人をかばえますか?
なかなかできることではありませんよね。
多くの場合、
見てみぬふりしたり、自分もイジメに加わったり。
そんなふうに過ごした後、数年、数十年たってその人と再会した時、
あなたは、正面から向き合うことができますか?
名を名乗り、謝罪することができますか?
「あの時はああするより仕方がなかった」で済ませられるのか、
というのは、
私たち一人ひとりにつきつけられる、永遠のテーマかもしれません。
実はこの「パサジェルカ」、
アンジェイ・ムンク監督が事故で急死したため、本当は未完です。
彼の遺志をついで、それまでのフィルムやスチールを巧みにつなげ作られました。
最初から、こうしたかったのでは?と思うほど、
素晴らしい構成です。
原作らしき本、見つけました。
パサジェルカ〈女船客〉第5版
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