ピグマリオン [CLASSIC MOVIES COLLECTION] / 洋画
「ピグマリオン」って聞き慣れないコトバ。
ギリシャ神話に出てくる人の名前なんですが
現実の女性に失望したピグマリオンは、自分で作った彫刻の女性像に
命を吹き込んで、理想の女性とし、その彫刻を愛した、という逸話があるそうです。
それを題材に、
バーナード・ショウという作家が作った戯曲の映画化が、これ。
「マイ・フェア・レディ」の原型となった映画だ、というと、
どんな映画か、ちょっと見えてくるでしょうか。
なまり丸出しの花売り娘イライザに「言語的な」興味を示した言語学者ヒギンズが、
この娘の「コトバ」を矯正することによって
上流階級でも通用するレディに変身させようとする話です。
「コトバ」が「地域」や「階級」と密接に結びついているイギリスだからこそ、
いい職を得るために、
今の境遇から這い上がるために、
イライザはヒギンズの家に住み込んで、「コトバ」の矯正に精を出します。
その訓練たるや、スパルタ教育そのもの!
イライザ、途中でパニック起こして泣き出しちゃったりするんですが、
ヒギンズ、全然ひるみません。
宗方コーチと岡ひろみみたい。
とにかく、訓練、訓練、訓練です。
そしてとうとう、ある社交界のバーティーで
「あのお方は、どうやらハンガリーの貴族か王族じゃないか?」などと
噂されるほど、完璧な「コトバ」と「物腰」を獲得する花売り娘。
しかし。
彼女は幸せではありませんでした。
もっとも欲しいものが、まだ手に入っていなかったのです。
言語学者の愛。
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映画の中で、とても印象深いセリフが出てきます。
「女はレディとして振舞うからレディになるのではない。
レディとして扱われるからレディになる」
そこに対等なリスペクトの関係があって初めて、
人は自信をもって誇り高く生きることができる。
どんなに愛情を注がれても、
「敬意」が見られなければ、
「上下」の関係しかなければ、
人間は相手に対して自分の劣等感を払拭することはできません。
知らず知らずのうちに花売り娘を上から見下し、罵声を浴びせる言語学者。
たとえ「いとしい」気持ちが芽生えていたとしても、
自分の気持ちを素直に口に出来ない男。
こういう物語は
一見、「田舎娘のサクセス・ストーリー」に分類されますが、
さにあらず。
「何事も自分が正しい」と思い込んでいる男が、いかに愚かかをえぐってみせる、
痛快風刺映画でありました。
さすが、バーナード・ショウ。
1938年の作品ですが、
今の時代に十分通じるテーマ性を持っています。
オードリー・ヘプバーン/マイ・フェア・レディ 特別版
こちらはミュージカル仕立てで、筋は「ピグマリオン」と同じですが、
比べると、ずっと明るい調子です。
また、両映画とも、ショウの戯曲とは、結末が違う、と知り、
私は、妙にナットクいたしました。
ショウは、現実主義者です。
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