屋根の上のバイオリン弾き
ロシア、アナテフカの青い空。3人の陽気な姉妹が
家事をしながらはしゃぐ、ささやかな家庭の幸せから物語は始まる。
ノーマン・ジュイソンは舞台ものに「大地」を取り入れるのがうまい。
「ジーザス」然り、そしてこの「バイオリン弾き」しかり。
もともとが非常に出来のよいミュージカルなのだから、
「映画ならでは」の何かをプラスするとしたら、それは
「小屋」では実現不可能な「広がり」に決まっているんだけど。
でも、それを彼のように斬新に、不意打ちのように、
舞台の世界に持ち込む才能はなかなかない。
舞台を観て、映画を観ると、「ミュージカル」としての完成度の高さを思い知る。
やっぱり英語じゃないと。
曲作るとき、英語に旋律つけてるんだから。(もちろん、逆に旋律に英語つける、もあり)
「トラディショーーーーーン!」というところを
「しきたりーーーー」ってやっても、字足らず。
もちろん、日本人だから日本語でやってくれてうれしいけど、
音楽を味わう時は、やっぱ原語、字幕にしましょ。
映画の終わり。ユダヤの「しきたり」を大切にして、
小さな家庭を守ろうとしたテヴィエの家族は、
ロシアという大国にのみこまれ、散り散りとなっていく。
3人姉妹の一人は、ロシア青年とともにポーランドへ。
自由を求めて向かうその都市の名は、クラクフ。
そう、ナチの容赦ない弾圧によって、
クラクフのユダヤ人ゲットーは悲惨な結末を迎える。
私たちの知っているその日に向かって、彼らは希望に燃え、
ここから出発するのだ・・・。
村の住人の中には、親戚を頼ってアメリカへ渡る人もいた。
この時の決断が、彼らの生死を分けた。
そう思うと、胸が痛い。
観終わったあと、すぐには席を立てない、そんな映画だ(1971)。
差別され、追いやられ、蹂躙され、それでも自分らしく生きようとするテヴィエ。
そのテヴィエについてくる、「バイオリン弾き」。
バイオリン弾きが見えてしまうテヴィエの心の奥を、
私たちは本当に理解しながらこの物語を観ているのだろうか。
年齢を重ねることで、「バイオリン弾き」の重要性が身にしみる。
わからなかったことが、少しずつわかるような気がしてくる。
娯楽性に溢れた秀作には、必ず作者の本当にいいたいことが、
裏地のように縫いこまれているものですね。
それにしても、あのバイオリンの音色がアイザック・スターンだったとは。
知りませんでした。
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