1900年を少し過ぎた頃の白人世界で、
「インディアン」「エスキモー」といった原住民が、どのように扱われていたか。
かなり地味な映画だけど、心にひっかかって消えない。
それが「心の地図」。
北極圏の小さなイヌイットの村に、白人が降り立つ。
精密な地図作りがその任務だという。
好奇心旺盛なイヌイットの少年は、彼らに協力する。
病気になった少年はカナダの病院に送られ、治療を受けるが、
そこで白人と原住民のハーフの女の子と出会った。
同じような境遇の二人に芽生えた友情と愛情を、
大人になるまで追っていったのが、この映画である。
インデアンとしての出自すべてを否定され、
白人世界に同化することを強制される少女。
今、アメリカに比べてマイノリティへの偏見が少ないとされるカナダだけれど、
厳格な宗教教育とともに、寄宿舎で矯正されるマイノリティの子どもたちを見ると、
初めからそこにいたのは彼らなのに、
何でこんなに痛めつけられなきゃいけないのか、
白人の「正しい」という思い込みと、その残酷さが、画面いっぱいに刻み込まれる。
また、
イヌイットの村が村ごと移動しなければならなくなった時、
少年は村人たちから「お前は白人の世界に入り込みすぎた」といって、
別の土地へ向かう船から降ろされてしまう。
茫洋とした氷の海に一人、小さなカヌーに乗って漂う少年。
それは、私の愛読書『からすだんなのおよめとり』にあった挿絵と
まったく同じ情景だった。
過酷な自然環境の中、
ギリギリの恵みを仲間で助け合い分け合って、
あるいは孤独の中でつかみとって、
連綿と続いてきた原住民の営み。
それらを「野蛮」「無知」とまったく歯牙にもかけず、
ただ自分たちの文化こそが最高だと信じ込んで押し付ける白人。
たとえ一時心と心が通じ合ったと感じても、
白人の中に厳然としてある「こちらが上」という気持は
どうしても消すことができない。
私は、「違うもの同士、分かり合うことなどできない」と思ってはいない。
同じ人間として、絶対に通じ合うことができると信じている。
でもそれには、
お互いがお互いの文化を尊重し合うことが前提だ。
この映画が作られたのは、1993年。
今の時代に、この作品を作ろうと思ったその意図は?
昔のことは言いやすくなった。
しかし、今、同じ問題がまだ残っている。
そんなふうに、私には感じられた。
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