猿の惑星 / チャールトン・ヘストン
宇宙船が着いた星では、猿が世界を支配し、
人間は下等な動物として隷属していた。
ところが、その星は、実は未来の地球の姿とわかる・・・。
砂に埋もれた自由の女神が主人公テイラー(チャールストン・ヘストン)の絶望を呼ぶ
有名なラスト・シーンは、
ネタバレ注意どころか、映画を知らない人だって知ってる始末だから、
堂々と書いてしまいます。
ストーリーも、ラストも、どんでん返しもわかっていたって、
名作というのは見るたびに楽しめるというもの。
しかし、
この映画の原作者(ピエール・ブール)は第二次世界大戦の時に東南アジアにいて、
植民地の支配者としてアジア人をアゴでこき使っていたのに、
攻めてきた日本軍の捕虜にされ、そのアジア人にじゅうりんされた体験をもとに
この「猿の惑星」を書き上げた、という逸話を知ると、
うーむ、
「サル」とは「日本人」だったのねー、と背筋が寒くなる思い。
これを知らずに第四作「猿の惑星・征服」あたりを見ると、
アフリカから猿が連れてこられて「調教」されて「市で売られ」て
町中にサーバントとして猿がいるところなんぞ、
どうみたって「猿=黒人」を想像しないわけにはまいりません。
(ピエールの原作を使ったのは第一作のみ)
猿の惑星・征服
第4作が公開されたのは1972年。
アメリカではようやく黒人が公民権を手にしたかどうかの時期である。
68年、メキシコ・オリンピックでメダリストとなったアメリカの黒人が
表彰台でこぶしを握り高く掲げて南アフリカのアパルトヘイト反対を示したことが
一瞬にして「国家の英雄」を地にひきずりおろしたくらい。
日本では、アメリカは無条件に「自由の国」と宣伝されていたけど
実際は南アフリカの白人世界の思考回路と同じものが
アメリカの白人世界にもまだまだ根強かった時代なのだ。
第一作の脚本家も、ハリウッドで厳しいレッド・パージの嵐に飲み込まれた経験を持つ。
人種・信条その他、どんな理由であっても
(というか、差別というのは理由なんかなくても起こるが)
差別「された」経験を持った者たちが作り上げたシリーズ。
そこに、
この映画が放ち続ける真実があり、魅力となっているのだと思う。
タイムマシン的なミッシング・リングを完成すべく、全5作が作られている。
衝撃の第一作は文句なしの出来。
個人的には猿の科学者夫婦ジーラとコーネリアスが1970年代の地球に不時着する第三作が好き。
ロディ・マクドウォール/新・猿の惑星
- 映画
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