囲碁といえば、「ヒカルの碁」くらいしか知らない私だが、
スチール写真の静謐な男の写真に惹かれて映画「呉清源」を観た。
「百年に一人の逸材」と謳われ、
戦中戦後の日本囲碁界において、プリンスであり続けた人の物語だ。
昭和初期、中国に天才囲碁少年現る!
その才能に惚れて、
日本の囲碁界の重鎮・瀬越(柄本明)は14歳の呉清源を日本に招く。
折りしも日中間に次々と不穏な空気が漂う時代。
本因坊秀哉に21歳の呉青年(チャン・チェン)が挑む本因坊戦も、
「日中対決」とマスコミにあおられる。
中国人の監督・田壮壮氏が、日本庭園・日本家屋の美しい佇まいを品格をもって映し出す。
碁盤・袴姿の棋士・障子・紅葉・池の水面。
凛とした空気が清清しさを運んでくる。
思わずこちらも姿勢を正したくなるような空間。
その「袴姿」が「軍服」になるように、時代の様子もうまく織り込まれている。
だが、棋士たちにとっては荒れ狂う日常より、碁盤の宇宙の方が身近なようだ。
鼻血を出すほどの長考をする棋士、
相手が倒れていても、それに気づかないほど集中する棋士、
一瞬の爆風が襲ってきても、
ややあって
「では続けましょう」などという棋士。
愚かしいほど囲碁にのめりこむ人々の、「生きる」姿に
笑ってしまいながらも感動せざるをえない。
彼らにとっては「棋士」に中国人も日本人もなかったのである。
多くの中国人が日本で迫害された歴史を重々知りながら、
田監督は敢えて「中国人を愛し、助けた」日本人を多く描く。
だから、日本人に心地よい映画に仕上がっているのかもしれない。
この映画自体、衣装・美術のワダエミ氏ほか、
多くの日本人スタッフと協同して作られたこともあるだろう。
呉氏自身、日中の壁を越えて、平和を願いながら生きてきたこともあるだろう。
「呉氏は現在(2004年)90歳。彼の1年を1分で表しても90分かかる。
だから彼の生涯を描くのではなく、彼の心情を描こうとした」と、田監督。
どうして新興宗教に走ったのか、など
観たからといって「呉清源という人がわかった」という映画ではない。
観客は「語らない」呉清源の丸い背中を追いながら、
彼の気持ちを、ああも考え、こうも考える。
ただ、生きてきた。昭和を、生き抜いた。
囲碁の話ではあるけれど、
囲碁を知らなくてもまったくかまわない映画。
そこにまるごと「碁清源」という人間がいる。
観終わって、自分の五臓六腑に「呉清源」がしみわたり、定着する。
いい映画を観た、と思う。
小品ではあるが、いい役者を揃えている。
呉清源を母のように見守る女流棋士・喜多文子に松坂慶子。さすがの貫禄。
呉清源の兄弟子にして永遠のライバル、そして2人で新布石を発表した血友ともいうべき
木谷実には、川谷拓三の息子の仁科貴。青年から晩年まで、人の一生を見事に演じ、感心。
冒頭の対戦にちょっと顔を見せるだけの本因坊秀哉は、
なんと元ザ・スパイダースにして「太陽にほえろ」のテーマ曲演奏で有名な井上尭之!
セリフなしだが、存在感たっぷりで映像になじんでいた。
ちょっとだけ、という意味では来日当初呉青年の支えとなった西園寺近毅に米倉斉加年。
「ハゲタカ!」で大ブレイクの大森南朋も、名棋士の一人として出演。
囲碁好きで呉清源との親交が深かった小説家・川端康成には野村宏伸。
当時の写真などを見ると、若かりし川端康成、野村にそっくりである。
日本ロケにつきっきりだったワダエミ氏によると、
「すごくよかったあのシーンもこのシーンも全部削られている」とかで、
メイキングDVDができたら、見てみたいものだ。
(パンフレットにある写真も、「こんなシーンあったっけ?」のものもあり)
そぎ落とした美。
それこそが、この映画の真髄なのかもしれない。
*中国のプロダクションなので「アジア映画」の枠としましたが、
一部の中国ロケ部分を除き、全編日本語です。
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「呉清源」
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