グエムル ~漢江の怪物~ スタンダード・エディション
かつての日本がそうだったように、韓国でも、
「怪獣映画」は撮影前から子どもだまし、或いはB級映画、
と相場が決まっていたらしい。
そんな映画を作ること、出演すること自体、映画人として避けるべきこと。
こうした世間の風も何のそので作られたのが
「グエムル」である。
評価の幅が大きいのは、こうした映画の宿命。
完全娯楽を求める人たちには物足りなく、
映画に「意味」を求める人には、ふざけすぎに見える。
でも、
この映画はもっと素直に見るのがいいかと感じた。
あの映画の中に入ってみよう。
日本で言えば隅田川か江戸川か。
或いは皇居のお堀に突如現われたナゾの生物。
それを目の当たりにした一人の登場人物になりきろう。
バケモノに襲われて行方知れずになった娘から、
父親(ソン・ガンホ)の携帯電話に連絡が入る。
「助けて」
そして、娘の家族は一丸となって、
かけがえのないその女の子のため、救出に向かう。
では、首都の河川敷で起こった大惨事に対して、
国は何をしたか。
封鎖である。
それも、情報操作による封鎖。
こういう時、「強力な感染力がある未知のウィルス」というのが、
人々を最も恐れさすのは、洋の東西を問わないようだ。
原因を特定するためと称して、人体実験もいとわない。
やさしく話を聞くふりをして、油断させるアメリカ人の医者の描き方は秀逸。
背筋も凍る。
得体の知れない怪物に対する恐怖、
当局から追われることへの恐怖、
忘れられた存在としてのホームレス兄弟の話、
そして、ギリギリのところで生死を分けるのは何か?
「国民」という顔の見えない存在としての自分ではなく、
きちんと心が通じ合ってこそ、人と人は互いに結び合うことができる。
自分の命を盾にしてまで人の命を救うという情熱は、
一体どこから生まれてくるのだろう。
それは「家族」とか「血」だけの問題ではないことも含め、
この映画が提示しているテーマはものすごく深い。
随所にとぼけた笑いとナンセンスを織り交ぜることで、
(たまには怪物もコケるほど)
身も凍るような恐ろしさを和らげている。
まだ年端もいかぬ少女が、
自分より幼い少年をかばいながら、
身を硬くして怪物の残忍な行為を目を見開いてじっとみつめるシーンに、
今、この瞬間同じ思いをしている少女が、
きっと世界にはたくさんいるにちがいない、と思ってしまう。
「怪物」は、軟体動物とは、限らない。
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「グエムル」
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