トンマッコルへようこそ 日本盤DVD
蝶がいざない、蝶が守る村「トンマッコル」では、
人間が当たり前に望む穏やかな日常が営々と続いている。
武器など見たこともないという村人たち。
「トンマッコル」とは、「子どものように純粋」という意味だという。
そこに迷い込んだ兵士たち。
兵士にとっては、朝鮮戦争という残酷な非日常こそが日常。
北の兵士3人、南の兵士2人、そして1人のアメリカ兵。
あっけらかんとした村人の前で、
三つの制服を着た男どもは、こっけいなまでに争いをやめない。
兵士は、争うことが存在意義なのだから。
「制服」の中に隠し持っていたそれぞれの人間性が、
次第に「制服」よりも大きくなっていく。
いつしか、彼らは「制服」を脱ぎ捨て、村の生活に同化していく。
「トンマッコル」は「ファンタジー」だととられられている。
この映画を宣伝するにあたってトンマッコルを「奇跡の村」と銘打っているということは、
映画の中の兵士だけでなく、観ている私たちも、
「戦うこと」「憎むこと」が日常になっているという証拠なのではないか。
(もしかして、この村は、兵士たちの見た夢なんじゃないの?)
(実はこの村は天国で、兵士たちはそれぞれ、死んでしまっているからこの村に来た、とか?)
疑い深く、最後までそんなことを考えながら見ていた私など、
まったく人間の性善を信じていないなー、と笑ってしまう。
私も兵士といっしょに、トンマッコルに迷い込んだ一人だったのかもしれない。
しかし、
監督が伝えたかったメッセージは、
「みんな仲良く暮らしましょう。トンマッコルみたいに。できるよ」ではない。
「トンマッコル」はリトマス紙でしかない、と私は思う。
だから彼らは再び制服を着る。
なぜ。
なんのために。
生きるか死ぬかがすべてになって、
何のために人を殺しているのかもわからなくなってしまった彼らが
ようやく「戦う理由」を見つける物語。
それが「トンマッコルへようこそ」なのだと私は思う。
南のピョ少佐(シン・ハギュン)、北のリ大尉(チョン・ジェヨン)が
ハンパなくかっこいい。
二人とも素顔の時とずいぶん印象が異なり、
きちんとした役作りをする実力派の俳優さんたちだな、と感心した。
CMを多く手がけてきたというパク・クァンヒョン監督のポップな映像と
戦争で傷ついた兵士たちのリアルな描写との落差が、
日常・非日常のコントラストをいよいよ深く心に刻ませる。
特に
ピョ少佐の心象風景を青空と緑の大地の上にオーバーラップさせたシーンは、
忘れられない。
音楽は、パク監督が尊敬してやまないという久石譲。
ファンタジーとしてはよく合っているけれど、
すぐにジブリ作品が連想される曲想なので、
映画のオリジナリティがかえって薄まって伝わってしまったのではないだろうか。
単に「癒し」の映画としてではなく、
意志をもって生きていくことを選択した男たちの物語として、
もっと評価されていい映画だと思う。
かつて「西部戦線異常なし」という名作があり、
ラストに出てくる蝶は、
戦争という非日常に生きる人間が見てはいけない日常の象徴として、
深く見る人の心に残った。
この映画も、蝶が重要な役割を負っている。
「トンマッコル」は決しておとぎの国ではない。
みんなの祈りで守っていくものなのである。
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「トンマッコルへようこそ」
- アジア・アフリカ映画
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