「光州5.18」は、5月に封切られる映画です。
1980年5月に、韓国の南に位置した光州市で民主化運動が高まり、
(その頃、韓国は軍事政権によるクーデターの直後だった)
「暴徒」を「鎮圧」するために「軍隊」が送り込まれたのでした。
韓国「当局」の発表では「暴動は暴徒によるもの」であり、
「市民の死亡はゼロ」、
「軍による市民への暴力はなし」
と伝えられていました。
光州市は完全に「封鎖」され、「情報も人の出入りも遮断」され、
最終的に、光州市の「暴動」は「鎮静」したのです。
しばらくの間、国民の間では「光州」という言葉さえタブーであったといいます。
「5.18」という数字を符牒に「そのこと」を胸にしまいこんできた人々。
韓国はその後当時の軍政権が倒れた後で、
光州市でおびただしい市民が殺されたことを新しい政府が認め、
光州事件当時の大統領などを処罰しました。
そして28年経って、
ようやく「何が起きたか」を映像にするまでになったのです。
たった28年前に、こんなことが起きていたのか、
今韓国に生きている人々の中には、
こんな辛い思いをしてきた人たちがいるんだ、と思ったものですが、
この数日、中国チベットで起きている「チベット族による暴動」のニュースを見ながら、
私は試写で見た「光州5.18」のあのシーン、このシーンを思い出さずにはいられません。
上の太字のところ、
「韓国」を「中国」、「光州市」を「チベット」に置き換えると、
当時の韓国の報道の内容は、現在の中国の報道のあり方とほとんどそっくりになるのです。
28年前ではなく、
今、2008年のこの時にも、
こうした「暴動」が報道されます。
「暴動」とは何なのか。「暴徒」とは誰なのか。
自分たちの「旗」を掲げることも、
尊敬する人の「写真」を飾ることも禁じられたことのない私には、
その「禁」を敢えて侵してデモをする気持ちを心から理解できるかといえば、
それは容易なことではありません。
ただ想像するだけです。
人によっては、本当に純粋な気持ちから、
人によっては、利害関係から、
人によっては、ただ巻き込まれ、愛する人を傷つけられたから、
突発的な参加もあれば、
長い間鬱屈してきた気持ちが爆発しての行動もある。
そしてそれらははからずも、
時に政治的な思わくに利用されることだってあるでしょう。
自分の意に反して参加する人も、
逆に参加したくてもできない人もいるでしょう。
何が正しく、何がウソなのかなど、
報道規制がしかれ、現地が外部と遮断される中、
外の人間に「本当の姿」はすぐにはわかりません。
だからこそ、
これを機会に「チベット問題」とは何なのかに関心を持ち、
一つ、二つのニュースの断片を鵜呑みにするのではなく、
目を凝らし、耳を澄まして
考えてほしいと思います。
「光州5.18」については、
『Wife』331号の「仲野マリの気ままにシネマナビ」に紹介記事を書いたところです。
発行が4月上旬なので、それが出るまでは書くつもりはなかったのですが、
どうしても書かずにはいられなくなりました。
今起きたことを、今伝えることも大切ですが、
何十年もたって検証することにも、大きな意義があります。
今回、異なる国で起きた28年も間のある2つの「事件」を見て、
そのことを改めて実感した次第です。
映画のみどころなどに関しては、また来月、紹介します。
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「光州5.18」とは
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