小田和正のファンである。
オフコース時代、それも1970年から聞いている。
小田和正は一人になっても
その才能を発揮し続け、
若いミュージシャンの熱気と時代をとりこみながら、
自分らしい楽曲作りを忘れずにここまで大きくなった。
61歳にしてあの高音はますます研ぎ澄まされ、
東京ドームは2階席の天井につくくらい
お客さんはぎっしり。
「豆つぶ」くらいにしか見えなくてもいい、
あの「声」を「ナマ」で聞きたい、という人たちが
ここに終結している。
あっぱれな、音楽人生である。
最近の小田は、かなり丸くなった。
丸くなって、オフコース時代の歌もこだわりなく歌う。
今回のツアーでも、
「お客さんが喜んでくれるから」といって、
懐かしい歌をたくさん歌った。
アレンジも見事だし、歌声も見事だし、
それはそれで素晴らしいのだけれど、
やっぱり
そこに鈴木康博の声があってくれたら、と思ってしまう。
この前、テレビで
「復活してもらいたいグループ」のランクの上位に
オフコースが入っていた。
私も願う。願うが、叶わないだろう、とも思う。
時代の変化をおもしろがり、その中で自分らしく歌を紡ぐ小田に対し、
自分の原点である音楽と音作りにこだわって
かたくななまでにスタイルを変えない鈴木では、
これから一緒に新しい曲を生み出すことはできないのだ。
そんな二人の葛藤は、
もちろんオフコース時代からあっただろう。
飛ぶ鳥を落とす勢いだったころだって、
「誰も知らない二人」の夜があっただろう。
オフコース時代の歌を聞くと、
二人の葛藤が目に見えるようだ。
「君は君の歌、歌え。僕はこの調べに愛をのせて」
君は、僕の歌を、ただのラブソングだというけれど、
という歌詞を聴きながら、
二人の、長い長い音楽談義が立ち上ってくるようだ。
話し合って、主張しあって、時にはケンカして、
その中で出来上がった「違う二人」の化学反応だったからこそ、
オフコースの歌は今も輝き続ける。
でも。
一緒に活動するのは無理だとしても、
一夜限り、1ステージ限りで二人のハーモニーが復活することは
ひょっとしたら起こりうるかもしれない。
新しい歌は歌えなくても、
二人で作った歌なら歌えるのではないか?
そう期待するのは、
ファンである私たちだけではない。
もっとも望んでいるのは、小田自身だろう。
会いたい人と会うために始めた「クリスマスの約束」だって、
本当に会いたい人は、鈴木である。
本当に出てほしい人は、鈴木である。
小田は、独立してからも
ずっと鈴木にラブレターを送り続けている。
彼が作った歌の大半は、
鈴木との思い出、別れ、
そして離れている今の気持ちを綴っている。
今も「あのころ」と気持ちは同じ。
「君」を尊敬している。
「君」は君のままでいい。
「君」と別れたことは後悔していない。
二人は二人の道を「どこまでも」行けばいい。
昨夜、小田は新しい曲を披露した。
「今の素直な気持ちを曲にしました。深読みしないでください」
と言って歌った『さよならはいわない』
もう会うことはないかもしれないけれど、
さよならは言わない、という歌詞を聴きながら、
ああ、また届かぬラブレターが一つ、
ポストに投函されたな、と感慨ひとしおであった。
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