58歳だった。
最後までロックンローラーだった。
がなってもがなっても、美しい声だった。
歳を重ねるほどに、メイクが妖しくなって、
どんどんポップになって、
それがものすごく似合う「若者」だった。
最後まで、「おじさん」にならない人だった。
彼の歌で好きなものはいくつもあるけれど、
一番心にしみるのは「ぼくの好きな先生」だ。
いつかテレビ番組で、
これは実話だ、と話をしているのを見たことがあった。
高校ではみ出し者だった自分に、
教師としてではなく、大人の一人として寄りそってくれた
美術の先生。
彼が有名になって、少し落ち着いてから、
過去を整理するようにして作った歌なのかとずっと思っていた。
しかし、
発表されたのは1972年。彼の1stアルバムの中に、
この曲はある。
それはこれから大海原に船出する彼の
「見ていてくれ、先生!」の叫びだったのかもしれない。
一人の偉大なロックンローラーを作った
「先生らしくない」「職員室のきらいな」一人の教師がいた。
自分が何者がわからず、あがき苦しみ迷う天才の青春時代に
ひとつ灯った道しるべ。
教師が自由でいられなければ、子どもの自由も育たない。
喉頭がんを克服し復帰ライヴを敢行、
最後の花道をきっちり自分で演出して彼は逝った。
もちろん、もっともっと生きてほしかったし、
もっともっと歌ってほしかったけれど、
不思議と喪失感はない。
ただ、涙がとめどなくあふれるだけだ。
清志郎、ありがとう。
そして、
お疲れ様。
全力で、自分を生きたあなたに、乾杯、そして、合掌。
http://www.youtube.com/watch?v=yqOJu059y1k&feature=related
RC SUCCESSION 35th ANNIVERSARY::初期のRC・サクセション
- その他のカルチャー
- 9 view
この記事へのコメントはありません。