それまで「日本アカデミー賞」の授賞式を見ていた私は、
番組が終わったと同時に何気なくチャンネルを変えた。
たった一秒あるかないか、
オーケストラの奏でる音楽が耳に入った。
粘りつくような、馬の尻尾の毛がなみなみと揺れるような、
やわらかく、それでいて強靭で、パワーのある。
あたたかくて、包み込むようで、パンクチュアルな。
何なんだ何なんだ何なんだ??
この指揮者はいったい誰?
まだ若そうな、真ん中分けのカーリーヘアの、
ちょっと顔の浅黒い…。
この青年は、
グスターボ・ドゥダメル。
率いるは、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ。
空気を大きくやさしくなでるようにタクトを振る、
かと思えば、力強く激しく振り下ろす。それも素早く。
もう一方の手は、音を握り締める。
ピアニッシモのそのまたピアニッシモを、ずっとディクレッシェンドしていく
そのオケの音の端っこを、彼はこぶしにしっかりつかみ、
絶対に離そうとしない。
すべての楽団員は、彼のその左手が緩むのを、固唾をのんでみつめながら、
自分の楽器もコンダクターと同じ緊張で、奏で続ける。
もう、音は聞こえないけれど、音楽はまだ続いている。
「彼」の中で続いている。だから、
「みんな」の中でも消えることがない。
この一体感は何?
彼がタクトを振る腕と同じように、
オーケストラ全体が波のようにうねる。
まるで生き物のようだ。
音楽が、生きている。
音の振幅の幅と潤いの豊かさに体が震える。
「私」の中にも、同じ音楽が入ってきたのだ。
単純なモチーフの繰り返しなのに、
最初はぼんやり、次にはっきり、
メリハリが利いてきて、歓喜と思ったら、悲愴さが漂い、
気がついたら凱歌をあげていて誇らしく、
そうかと思ったら、嵐の前の静けさ。
体をかがめ、上目使いに「来るぞ来るぞ来るぞ!」、
それ!
タクト一振り、合図とともに、すべてが突然はじける。
自由自在だ。
グスターボは笑っている。
まるで、パントマイムの名手のように、体中が音楽を発している。
あるときは、手首を1ミリかそこら動かすだけで、オケに指令を送る。
物語の先を知っているのは、彼だけだ。
その彼も、
時に「あ! こんな音だったんだ!」と発見したような顔をしている。
1曲目の「ダフネスとクロエ」(ラヴェル)も幻想的でよかったが、
2曲目チャイコフスキーのシンフォニー6番の4楽章は圧巻。
終わった途端に観客総立ちだ。
スタンディング・オベイジョンだけではない。
「ブラボー」の声が、地鳴りのようにとどろく。
ここは日本。2008年12月の東京芸術劇場。
クラシックのコンサートでこんなこと、珍しいのでは?
鳴り止まぬ拍手に、アンコール曲がまたすごい!
「ウェストサイド・ストーリー」(バーンスタイン)から
「マンボ」である。
彼らにとっても、当夜のパフォーマンスは最高の出来だったのかもしれない。
晴れやかな顔でリラックスして奏でる「マンボ」は、
これまた音楽の楽しさと喜びを表してノリノリ。
らららら・ら・らら・ら・らららら・・「マンボ!」のところでは、
全員が楽器を持ち上げて立ち上がる、というパフォーマンスつき。
途中では全員立ち上がったまま銘々が踊りながら演奏。
なんて楽しいんだ!
アンコールは2曲もやって、最高の盛り上がりだった。
指揮者はタクト一振りで世界を変える。
テレビで音楽を、それもクラシックを聴いてこんなに興奮するのは、
私は初めてだ。
番組表を見ると、
「ベネズエラの若者たちの奇跡の響き」というタイトルがつけられていた。
本当に、「奇跡」はあったな。
看板に偽りなし!
もし、「グスターボ・ドゥダメル」あるいは
「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ」
と見たり聞いたりしたら、
絶対にスルーしてはいけません。
人生、損します。
6番は、「白鳥の湖」をほうふつとさせるモチーフがいくつか出ていました。
私、彼の指揮で、「白鳥の湖」を聴いてみたい!
いや、何でもいいから、彼の生の演奏を聴きたい!
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今日は、本当は日本アカデミー賞のことを書くつもりでしたが、
あまりの感動に、こちらを優先いたしました。
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