昨日テレビで、
12歳の天才ピアニスト、牛牛のことを取り上げていました。
本当の名前は張勝量、
丑年生まれ、ということで、このニックネームがつけられた、ということです。
みんなすごいすごいってあちこちのメディアで取り上げていましたが、
うーん、
私の心の琴線には、届かなかったかな。
たしかに「すごい」はすごい。
指はよく動く。大きな掌が頼もしい。
ただ、
速く弾ける、正確に弾ける、というのは
大切な技術ではあるけれど、
「どうです、こんなに弾けますよ」だけだと、
それはまだ芸術の域には達していないかな。
その素晴らしいテクニックで、
あなたは何を表現したいの?というところが
まだ見えてきていない感じがします。
でもいいんですよ、それで。
まだ12歳ですからね。
これからの人です。
「神童」と言われた人は、たくさんいます。
その多くが「ただの人」として人生の後半を歩むなか、
押しも押されもしない芸術家に大成する人には
いったい何があるのか?
かつて、やはり神童の呼び声高く、
幼いころから有名だったチェリストのヨーヨー・マが
巨匠カザルスの前で演奏したのは
たしか10歳のころだったと記憶する。
かなり前の「徹子の部屋」に出演していた
マ本人の談をもとに、思い出しつつ再構成してみると……。
飛行機に乗ってやってきた男の子が
自分の前で演奏し終わったとき、
巨匠は彼に言った。
「これからは、チェロ以外のことをたくさんやりなさい。
スポーツとか遊びとか。
野球とかね。
あなたの年齢の子どもたちがやることを、たくさん」
音楽は、人生である。
12歳の子どもに、人生はわからない。
人とふれあい、喜怒哀楽をともにし、一人悩み、
さまざまな経験を積み重ねて初めて、
人を感動させる素養というものは培われるものである。
その感受性の豊かさが、持てる技術によってはじけたとき、
私たちはきっと体が熱くなり、あるいは背筋に冷たいものが走る。
さきごろ、
ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで圧勝し、
日本でも一大ブームが巻き起こっている
ノブリンこと辻井伸行氏も、
7歳には頭角を現してあちこちのコンクールで賞を獲得、
12歳でソロ・コンサートを開いている。
でも
今、成人した辻井氏が世界に愛されるのは、
ハンディがあるとか、
テクニックが圧倒的だとか、
そういうことより何より、
音が優しいからである。
音に景色があり、ドラマがあり、
聴く者の想像力を豊かに動かすからである。
10年後の牛牛に、期待。
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