日本代表にとってのW杯が終わった。
「ベスト8」にはなれなかったけれど
決勝トーナメント一回戦で唯一の延長・PKによる決着、
それも0-0の引き分けで、失点0であることを考えれば
「ベスト9」であったと言ってあげたい善戦である。
それも、
単に「負けないサッカー」であるだけでなく、
デンマーク戦ほどの切れ味はなかったものの
魅力的な攻撃パターンもいくつか見せ
このW杯を通じて世界中のサッカーファンに「あのチームは素敵だ」と思わせたこと、
予選リーグ突破が決してフロックでなかったと証明したことが、誇らしい。
PK戦は
トーナメント戦で上に1チーム上げなければならないために
やむを得ず採用するシステムであって、
日本はパラグアイに負けた、とは言い切れない。
しかし、
負けは負けである。
私はPK戦を見ながら、
まったく勝てる気がしなかった。
PKを誰がはずすの止めるの、という問題ではない。
「1対1」の実力の差が
ここに如実に現れているように思えたのである。
日本は「チーム力」で勝ってきた。
それは前監督のオシム氏も「日本らしさ」として評価し
そこを増幅したいと言って強化していた長所であるし、
このチームがまとまりと総合力をもって、素晴らしい試合を重ねてきたことは
今さらいうまでもないが、
裏を返せば
「和の力」で「個の力」の不足分を補ってようやく世界に通用する、とも言える。
試合の中で失点ゼロに押さえたのは、
キーパー川島の好セーブもさることながら、ディフェンスのがんばりが大きい。
全員で果敢にけずり、そしてクレバーに守った結果、シュートレンジが狭まり、
川島の好セーブが生まれた、というのが実のところである。
それはサッカーのあり方として正しい。
だが、PK戦は怖いほどに「1対1」だ。
かつて高校サッカーで川口がゴールマウスに立った時に漂った、
「もうどこに打っても入りそうにない」と感じる殺気は、川島にはなかった。
キックをするパラグアイ選手の背中越しにゴールをみると、
そこはなんと広々と感じたことか。
蹴るほうにしても同様である。
パラグアイの選手には
ディフェンスに邪魔されなければいくらでもシュート決められる、という
自信とオーラがあった。
PKとは「なんとか入れる」ものではなく
もっとも「自分らしく」ゴールできるチャンスなのだ。
試合後の日本選手のコメントを聞いていると、
「個々の力」という言葉があちこちで飛び交っていた。
彼らにしてみても、
「ここまでやれる」自信を得たと同時に
自分たちに足りないものを相手選手が持っていることを
痛感するゲームだったのだと思う。
あと一歩。
自分らのゲームプラン通りに動くための
個々の能力アップ。
今は足りない「何か」をそれぞれが探し、見つけ、身につけ、
4年後は「和」と「個」を融合させたさらに進歩した代表チームが誕生することを
心から願ってやまない。
力を出し切り、ギリギリの限界を越え、
120分そしてPKをがんばり抜いた日本代表に、心からのエールを。
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