1997年に放映された「こんな恋のはなし」の第一話タイトルは
「大金持ち、大貧乏人に出会う」。
大金持ちは真田広之、貧乏人は真田の会社が再開発をもくろむ地域に住んでいる玉置浩二。
松嶋菜々子が玉置浩二の友人で、真田の経営するデパート1階のディスプレイをしている、
という設定である。
「わかった! 大金持ちが貧乏人に出会って、お金以外の価値を見出す話だ」
「なるほど、そして菜々子ちゃんが真田クンとうまくいって、玉の輿ネ」
・・・と、見え見えストーリーだと思うでしょ?
それが、違うんだなー。
このストーリーは、孤独な青年が自分を取り戻すまでを丁寧に描いた作品。
完全に、真田広之の独壇場です。
とりあえず、主役は玉置浩二ということになっていて、
なかなか味のある演技をしている。
松嶋菜々子もかわいいし、実力もある。
でも、
二人とも、完全に真田に喰われています。
もっとも印象的なのは、
毎回のように繰り返される、車で移動する時の表情。
(彼の移動は常に、お抱え運転手の運転する車)
何のセリフもないけれど、
真田は「眼」だけで演技する。
「車の中」という暗くて狭い空間で、
窓の外に流れる風景と、自分の頭の中の記憶とだけが交錯する。
幼い頃の遠い記憶に思いを馳せる眼。
懐中時計を握り締めるときの眼。
松嶋菜々子に意見されたことを深く考える眼。
玉置浩二の能天気さに、思い出し笑いを禁じえない時の眼。
そして、ビジネスマンの顔に戻り、事業に気持を向けた瞬間の眼。
甘えるような、すがるような。
あるいは、何ものも寄せ付けないような。
はたまた、10歳にもならない少年のような。
人間って、短い時間にいろいろなことを考える。
そのことを、
ただ、「眼」だけで、彼は見事に表現するのだ!
なんて役者なんだ、真田広之。
私は、このドラマを見て、心底彼に感服した。
「プリティウーマン」みたい、というのはたやすい。
けれど、ある時は「走れメロス」のような、
ある時はプルーストの「失われた時を求めて」のような。
人生のエッセンスを生き急ぐ主人公の眼の中にすべてつぎ込んで
心に残る名作となっている。
哀しい祝祭が異彩を放つ最終回まで、笑いあり涙あり。
損な役回りを引き受けた戸田菜穂にも、最後は聖母マリアのオーラが光る。
よく出来た話である。
いまだにDVD化されていないの由。
せめて再放送が望まれる。
- その他のカルチャー
- 19 view
この記事へのコメントはありません。