村上龍と小池栄子が司会をやっている
「カンブリア宮殿」。
そこに劇団四季の代表、浅利慶太がゲストに招かれた。
劇団四季の活動を、
「ビジネス」という切り口で見てみよう、
というのである。
ちょうど横浜のキヤノンキャッツシアターが開幕する
直前の取材とあって、
宣伝効果も抜群だろう。
こういうところが、
まずビジネスとしてのカンの鋭いところだよね。
「キヤノン」キャッツシアターっていう冠商売も、
え、なんで横浜だけ?と思っていたけど、
まあほかの劇場もJR東日本とか電通とか、
企業とタッグを組んでいる点では共通でしたね。
練習風景で
「慣れ・だれ・崩れ・去れ!」っていうのが、
なかなか圧巻でした。
すべてをシナリオどおりに。
アドリブは許さない。
「99%は正統に。あとの1%は個人のニュアンス」
その1%のニュアンスも「歌だけは」とクギを刺す。
たしかに、
音程もとれないのにコブシまわしてもしかたないし、
リズムがとれないのにアウフタクトを好んでも困るけど。
キホンが大事なのはわかる。
積み重ねる努力が必要なのもわかる。
学校や研修所で安易なアドリブを禁ずるのもわかる。
だけど、
舞台って、もっと精神的に自由なもののような気がする。
板にのってしまえば、
芝居は役者のものである。
自分を出しすぎ、崩れすぎれば、客が飽きる。
自己責任だ。
すべてを指図どおりにやっていたら、
そこそこのアベレージはとれるだろうけど、
自分で考えられなくならないか?
自分なりのアプローチはないのか?
「1000回やって飽きるなら、役者をやめろ」と浅利。
もう、
北島マヤはダメ役者だよね。
リハーサルでさえ何種類もやっちゃうんだから。
もちろん、私も四季は好きだ。
小学生のとき、「はだかの王様」を日生劇場で見て、
「そうだ! 王様はハダカだ!」と二階の後ろから役者が出てきたときは
本当にビックリしたし。
「ユタとゆかいな仲間たち」は何度見ても泣けるし。
自由劇場を作って、演劇の王道を守ろうとしたところも買う。
(最近は、自由劇場の演目もちょっとアヤしくなってきたけど)
役者にちゃんと給料払っていこうとするところも買う。
東京以外に常小屋を持つことの難しさもわかる。
それらをクリアし続けているすごさは並大抵じゃない。
でも、
昔の四季にあって今の四季にないものは、
単に「スターの存在」だけなんだろうか。
なんでスターは四季を去るのか。
「カンブリア宮殿」は、
男性ビジネスマンをターゲットとした番組なので、
ミュージカルとか観たことないでしょ?っていうスタンスで
番組は進行している。
だから村上龍の質問だって喰い足りない部分がたくさんあった。
村上さんもこの機会に「キャッツ」を見て、
「想像以上にレベルが高かった」っていってたけど、
ほかのミュージカルって観てないってことかしらね。
「キャッツ」のレベルの高さは認めるけど、
「歌のうまい人は全員四季にいるんじゃないんですか?」って、
それは……。
私は「カンブリア宮殿」の番組収録を見学したことがある。
(テレビにうつらない裏のところで)
収録場面を見たら、カットされてテレビでは聞けない話が
たくさんあるんじゃないかと、期待して行ったのだが、
この番組は予想以上にきっちり構成されていて、
たとえば3時間くらい話したものを1時間に集約する、という方式ではなく、
予め録画された映像を流すところまで含め、
放送されるのとほぼ同じ進行で収録されていた。
もちろん、多少はカットされるところがあるけれど。
「その場のやりとり」のなかで、どんどん話がころがっていくような
ライブ感は薄かった。
用意されていた質問に、予想していた答えがもらえないと、
次の質問がとっても間が悪かったりもする。
狙いはいい、初心者にはいい、
けれど本当のホンモノをもっと深く知りたいと思って見ると、
物足りなさを感じる。
……似てるかもしれない。この両者……。
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