「自分のなりたい理想の姿をはっきりと思い描くことができ、
それを言葉にすることができれば、
必ずそう(いう役者に)なれる」
「こうなりたい」をはっきりとイメージすること、
たしかな目標を自分の心に刻み付けること。
それがとても重要なことなんだ、と改めて知る。
と同時に、
次の言葉に慄然とする。
「私は、うまくなりたいという気持ちと、
うまくなっているという気持ちを
勘違いすることがある」
玉三郎が若いときにつづった
日記(「真夜中のノート」として出版された)の一節だ。
どんなにがんばっても絶対にほめなかった芸の父・守田勘弥の
「いいと思ったらおしまい」という言葉を胸に、
決して「到達」という瞬間のない芸の道をひたすら前に進んだ玉三郎。
勘弥には、
「今、舞台の上で気持ちよく踊っていただろう」
「廊下を歩く背中に謙虚さがない」など、
常に自分を「いい」と思う瞬間を指摘され、釘を刺され続けてきた。
番組の中で
「阿古屋は女形としての一つの到達点ですか?」と聞かれた玉三郎は、
「到達ということはないのだけれど、一度はその門をくぐり、通り抜けるもの」
という答え方をする。
一塁ベースは駆け抜けろ、とでもいうように。
過日「ニホンGO!」という番組である脳学者が言っていた。
「日本人が(オリンピック競技などで)ラストに弱いのは、
あと10メートル、というところで『勝った』と思ってしまうから。
ゴールの10メートル先に本当のゴールがある、という気持ちでやらないと。
人間の脳は、「勝った」と思った瞬間に力を出さなくなるようにできている」
自分の理想をしっかりと思い描き、「あそこまでがんばろう」と努力し、
しかし「そこまで来た」と思ったら、私たちは途端に力尽きる。
そういう「罠」を肝に銘じなければ、と気持ちを新たにした。
もう一つ。
番組内で海老蔵の、玉三郎についてのインタビューが流れた。
「あの人は、歌舞伎のお家柄でない方です。
そういうことには今よりずっと厳しかった時代。
おそらく1度として失敗できないという環境だったと思います。
この緊張感の中で、玉三郎という役者が生まれた。
あの人は、ふつうの人間の人生は捨ててるんじゃないですか?
歌舞伎だけです。
おにいさんのような女形は、もうこれからも出ないんじゃないかな」
成田屋の御曹司の言葉として、さらに重みがある。
舞台に対する玉三郎の妥協のなさを見て、
彼は開眼した部分が多い。
「今の僕があるのは玉三郎さんのおかげ」というのも本心だろう。
若い役者たちが、
玉三郎と一緒の演目では他とは見違えるような緻密な演技を披露して、
びっくりすることが立て続けにあった。
それで以前玉三郎にインタビューしたとき、
「若い役者さんにはどんな指導をしているのですか?」と質問したら
「日頃の立ち居振る舞いが大事」であると教えている、とのことだった。
そのときは私も、
「それを言われたらおしまいだよね、玉三郎さんだからできる」
みたいに思ってしまったけれど、
彼だって、
何の枷もなく何十年も自分を追い詰めることなどできるはずがない。
海老蔵の語る言葉の中に、
玉三郎が置かれていた針の筵のような毎日が透けて見える。
どうして彼に耐えられたのだろう。
「踊ることができれば、何でもよかったんです、私」。
芸養子になることも、すべて。
「本当の両親の気持ちも何も考えていなかった」と玉三郎。
ただ、踊ることだけが、彼のすべてだった。
「踊っているときは、(何もかも忘れて)浮遊していられたんです」
ここにもまた、
「人の人生(役)を生きることで、初めて自分らしく生きられた」役者が。
「役者とは、すべてを空にして、演出家の前に自分を投げ出すもの」だという。
「動物的」という言葉もよく使う。
すべてをはぎとって、無心にそこに存在するもの、それこそが本当の自分。
歌舞伎という伝統としきたりと閉じられたコミュニティで
およそそこでのプライオリティを一つも持たず、
ただ才能と努力と忍従で生き抜いてきた玉三郎が
「すべてを空に」しても最後に残った彼らしさ。
サルトルの「実存」という言葉を連想させる。
違う番組(同じNHKの「色つきの悪夢」を見ていたため、前半は見られなかったが、
後半だけでもたっぷりといろいろなことを感じさせてくれた番組だった。
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