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ぜいたくは「素」敵だ

私は昨日、ヘアサロンに行きました。
行きつけのヘアサロンですが、ここもビル自体が節電のため早めの閉館対策を決定、
金曜までは閉店は通常の9時から3時間早め、夕方6時。
銀座ということで、書き入れどきの平日夜を1週間棒に振ったということです。
お客さんも従業員も、
帰宅の足の確保が最優先だし、仕方ない部分がありましたよね。
「今日は停電もないということで、久しぶりにお店に活気があります」と
いつものヘアデザイナーさん。
自宅の断水がまだ続いているという話をすると、
「ここは電気と水とお湯をふんだんに使って、申し訳ない気持ちです」とおっしゃいました。
いえいえ、
私はここで髪の毛を洗い、ヘアパックをし、ヘアマニキュアをし、
その合間に肩や背中をもんでもらい、
本当に気持ちよかった!
「ぜいたくな空間」でリラックスできました。
もし
「節電です、水の使用もできるだけ控えます」って言われたら、
切なかったですよ。
「こんなときに髪の毛染めてる場合じゃない」とか、
「こんなときに、髪の毛切ってる場合じゃない」とか、
「こんなときに、ヘアパックはぜいたくだ」とか、
そんなこと言われたら、悲しかったですよ。
現在、電力不足もあいまって、
さまざまな「不用不急」が「やるべきでない」と直結しがちです。
でも
「不用不急」こそが人間らしさをつくってきたことも忘れてはならないと思います。
だってそうでなければ、
今「こんなときに」って言われているすべてのことが
現代まで職業としてずっと残っているはずがないじゃない。
心にちょっとぜいたくできることは、人を幸せにするのだと思います。
人々は、それを求め、得ることで幸せになるのだと思います。
それを「心のうるおい」と呼ぶのだと思います。
その「うるおい」をつくる人たちの多くは、
つまり「不用不急」をなりわいとしているのです。
「不用不急」を止めてしまったら、その人たちはおカネをもらえません。
おカネをもらえなかったら、生きていけません。
「不用不急」も「用」と「急」を作っているのだということもまた、
忘れてはならないことだと思います。
CMも、そろそろフツーにやっていいんじゃないですか?
AC広告だから被害者にやさしいということではないことを、みな学習したんだから。
必要な情報を流すために、中止するのはやむを得ない。
電気の使用量も問題で、やり方を見直すのは必要かもしれない。
でも
「なにもこんなときに」を金科玉条にして
すべての娯楽、すべての楽しみ、すべてのぜいたくについて
「不謹慎」だというのは、
人間に「生きろ、だが幸せを求めるな」と言っているのと同じではないかしら。
人は誰でも、笑いたい。
「はるかなる帰郷」という映画があります。
ナチスドイツによるユダヤ人の強制収容所が解放された後、
そこから故郷イタリアまで帰った哲学者プリーモ・レーヴィの自伝的小説
「休戦」の映画化です。
その映画のレビューはこちら
そこから、一部抜粋します。
「私が一番好きなシーンは、
一人のソ連兵が、フレッド・アステアのまねをして、音楽に合せ踊るところ。
窓越しにそれをじっとみつめる解放された人々。
収容所を出たからといって、すぐに精神が回復するわけではなく、
彼らは帰郷の道すがら、ずっと無表情です。
ところが、このソ連兵の気楽なダンスと音楽によって、ある変化が訪れます。
男達は、無言で女達をダンスに誘うのです。
暗がりでのレイプではなく、ダンス。
心と心が触れ合う日常が戻る一瞬。人々の瞳に光が、口元に笑みが蘇えっていく…。
音楽が、ダンスが、私たちの心の幸せの素だと実感できる場面です。」

「生きる」とは、息を吸って吐いて、物を食べて出すこと。
でも人間は、それだけでは幸せにはなれないのです。
大切な人がそばにいること。
自分が守られていると感じられること。
そして
「あそび」を楽しむ余裕がなくては。
第二次世界大戦(太平洋戦争)中、
政府は「ぜいたくは敵だ」というスローガンを示し、
国民に窮乏生活を強いました。
「なにもこんなときに」のコピーが「ぜいたくは敵だ」であります。
街中に貼られた多くの「ぜいたくは敵だ」の貼り紙の一つに
「素」と落書きし、
「ぜいたくは“素”敵だ」とした人がいて、通りすがる人たちはみなニヤっと笑ったとか。
超一流のコピーライターですよね、
この「素」を付け加えた人。
当時の風潮からすれば「非国民」ですけど。
みんなが底なしに電気を使うことはいけないし、
みんなが何も考えないこともよくないこと。
でも
ぜいたくを「敵視」する必要はないと思います。
「いま私にできること」という言葉が、社会に広まっていますよね。
自分にとっての不用不急は何かを考えて、
自分に必要なことはやり、自分に不必要なことはやめる。
でも
何が必要で何が不用かは人によってちがう。
何ができ、何ができないかも人によってちがう。
そのことを、
「いま私にできること」という言葉はちゃんと含んでいる。
そこが
素晴らしいと思う。
大きな無力感を感じながらも
ささやかな努力がいつか実ることを信じて、
みんなでちょっぴり節約し、
ちょっぴりぜいたくし、
生きる喜びをかみしめ、
明日への活力に結び付けながら、
この難局を乗り越えていきたいです。

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