バレエ界、オペラ界、などなど、
来日公演への出演を中止するビッグネームが相次いでいます。
もちろん、
その人見たさにチケットを買った人はがっかりだし、
来る人と来ない人がいると、
どうしたって「来ない人」が悪者になりがち。
「口では『いつもそばに』とか言ってるけど」
「義捐金集めはしてくれるけど」
でも、やっぱり来ないのね~、と。
でも、
私は「日本へ行かない」という選択は、間違っていないと思います。
特に、
若くて将来のある人については、
周囲がアドバイスして当然だと思います。
もっといえば、
日本にいる若いアーティストの方々も、
これを機に海外研修とか、海外移籍とか、
そういうことを考えてみてはいかがでしょうか。
私は野球もゴルフもサッカーも大好きですが、
雨の中で、サッカーの試合が当たり前のように続いているのとか、
やはりどしゃ降りの中、石川遼くんとか池田勇太くんとか、
芝生の草いきれの中で毎日プレーしているのを見たりすると、
心が痛くなります。
震災から3ヵ月が経とうというのに、
原発事故は、まだ収束していません。
みな、一時の緊張が解け、
ふつうに生活を送っているような人がかなり多くなってきました。
でも「終わっていない」ということを、
もっと自覚しなければならないと思います。
本当の収束は何十年も先であることは仕方がないとしても、
それは「一応の収束を見てから」でさえ何十年もかかる、ということです。
まだ、何も終わっていない。
一触即発の危機は去っていない。
もう一度、大地震が来たら、
夏に、大きな台風が来たら、
また、どこかに故障がみつかったら。
いえ、
そんなことが起きなくても、
高濃度の汚染水はすでに満杯だし、
メルトダウンした核物質は、再臨界を繰り返す可能性が高い。
今必死で格闘している人たちによって、
なんとか日一日を無事にしのいでいる、という状況であることを、
理解する必要があると思います。
その上で、
これからどう生きていくか、
自分なりの答えをみつけていかなくてはなりません。
今、東日本にいる人は、
できるだけ放射能の影響を受けないように、生活を工夫するべきだと
私は思っています。
そのやり方は、人によってちがっていいと思う。
移住できる人は移住したほうがいいし、
屋外よりは屋内のほうがいいし、
食べ物も水も気をつけたほうがいいし、
マスクはしないよりしたほうがいい。
雨には濡れないほうがいい。
雨に濡れなければならない仕事の人は、
できるだけ直接雨が肌にかからない工夫をしてほしい。
これから、10年後、20年後のことを考えましょう。
ボランティアや取材に現地へ行く人も、
ちゃんと対策を考えて行ってくださいね。
今やるべきこと、やりたいことを全うしたい気持ちに水はさしません。
でもやるからには、
風向きを考えたり、
積算量が多くならないように計算したりして、
自分の身を、将来を、守るようにしてください。
私たちは今、
地獄の釜がぐつぐつ煮えたぎっているその上に木の蓋をして、
その蓋がずれないようにそっと載っているような状態です。
もう一度、大地震が来たら、
夏に、大きな台風が来たら、
そのとき、
私たちは木の蓋にしがみついていることができるのか。
地獄の釜は、どうなるのか。
このまま窮地を脱することができるのか、否か、
その選択権は、もはや私たちにはない、と私は思ってます。
当初は付けてあった安全冷却装置をはずしてしまったような国です。
30年間、配管を一度も点検することなく、原子力発電をしてきたような国です。
自分の作ったもの、自分の動かしているものに責任を持たぬまま、
ただ「原子力は安全」と言ってきたような国です。
廃棄物の処理方法もあみ出せぬまま
それでも原子力は「クリーンなエネルギー」と宣伝してきた国です。
「どうすれば、少しでも放射性物質の影響を少なくできますか?」という
福島の人々に対し
「年間100ミリシーベルトまでは安心です」と何回も宣言した専門学者が
「あれは10ミリシーベルトの言い間違いでした」と平気で訂正する国です。
科学者ですよ。
20ミリシーベルトが安全か安全でないか、という話をしているときに、
100と10を間違えますか?
それも、何度も。
私は日本が好きだ。
民主主義の国、日本に生まれて誇らしかった。
好きなことができて、自由にものがいえて、いろんな人がいる日本。
大好き。
こんな、国民をバカにするような国だったなんて。
何のためだかしらないけれど、
平気で棄民するような国だったなんて。
泣けてくる。
私は親として、
あるいは30年間この原発行政とともに生きてきた主権者として、
木の蓋にとどまってでも何とかしなければならないと覚悟している。
でも、
若い人たちはちがう。
あなたたちは、「ポスト3.11」の時代を生きる人たち。
できればそれを「脱原発」の時代とはっきりと言いたいけれど、
世の政治は事ここに至っても、
それでもまだ「原発は必要だ」の路線から降りようとはしない。
政治や行政は、事実を「国民に示すという考えがなかった」と明言しました。
「隠したのではない」とはいいつつも、多くの事実を即座に出しませんでした。
「危険なことがあるのなら、政府がちゃんと言ってくれるはず」というのは、
あの3月11日からこちら、幻想になってしまったのです。
いや違うか、
以前からそれは幻想であったのに、こちらが気づかなかっただけなのか。
心ある学者や研究者が独自の調査や発表を行うと、それを「自粛」するように言ってきます。
ネット規制法も衆議院で可決してしまいました。
思ったことを言い、やりたいことをやり、
安全なところに住む自由を、
私たちは失いつつあります。
私は今、その危機感で気持ちが押しつぶされそうです。
ちっぽけな、こんなちっぽけな国民一人の自由も許されない、
そんな国が、民主国家といえるのでしょうか。
とんでもないことではありますが、
このとてつもない値の放射性物質の垂れ流しよりもさらに
この国の行方のほうが何倍も恐ろしく感じてしまうほど、
私の気持ちは暗澹としています。
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昔むかしのお話です。
トロイアにカサンドラという王女がいました。
あのトロイア戦争のトロイアです。
お兄さんがパリスで、彼がスパルタ王メネラウスの妻ヘレネを奪うことから
トロイア戦争は勃発します。
パリスがヘレネを連れて戻ってきたとき、
カサンドラは「この事件がこの国を滅ぼす」と予言します。
カサンドラは、ギリシャの神アポロンの恋人になるのと引き換えに、
未来を見通す力を得ていたのです。
しかし、
この力には呪いがかけられていました。
未来は見えるのだけれど、誰もカサンドラの言葉を信じない、という呪いです。
アポロンが自分を捨てる未来も見えてしまったカサンドラが、
アポロンを拒否したために呪われたといいます。
カサンドラは、
トロイの市民が大きな木馬を城内に運び込もうとしたときも
「この木馬が破滅につながる」と予言をします。
でも、
誰もその言葉に耳を傾けようとはしませんでした。
カサンドラは言った。
「この国は滅びる」
でも、人々は聞き入れない。
カサンドラは必死で訴えた。
「これが破滅につながる」
でも、人々は笑っている。
「信じない。カサンドラの言うことなんて、信じない」
今、
ネットの世界では、多くの人々が警鐘を鳴らしています。
単なるデマとか感情論ではなく、
少ない情報をみなで共有しあい、そこから引き出せる結論を導き出し、
未来を予測し、
予測した未来への対策を練り、
なんとかこの国を少しでもましな方向へ導こうと、
一人でも多くの子どもを安全な環境に置こうと、
がんばっています。
それを「デマ」だとか「風評被害」とか決め付けて
信じない人たちがいます。
「私はそうは思わない」というのはかまいません。
いろんな意見の人がいていい。
しかし、「ウソ」と決め付けないで。「デマ」と切り捨てないで。
みな、この日本に生きる人たち一人ひとりの命と将来を心配しています。
不安でしかたがない人たち同士、行動する勇気を分かち合っています。
安全で、健康で、幸せに生きたい気持ちを、応援しています。
もし、興味があったら、
子どもたちを守る署名運動の主旨を読んでください。
賛同してもらえたら、署名を御願いします。
署名は、本日6/5までです。
多くのお母さんたちが、
自分の心配と周りの人たちの無頓着さとの温度差に悩んでいます。
真実を知っているというのは、苦しいことです。
子どもを守りたい、その一心のあなたを、
私は全力で応援します。
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カサンドラの憂鬱
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