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1000年に1度の震災

非常に深刻な事態となっている日本。
小松左京は預言者だったのか?と思ってしまうくらい、
「日本沈没」さながらに、次々と起こる地震、津波、そして原発事故。
私は3月11日の午後3時以降、
平常心でいられなくなっている。
大きいのは津波の映像である。
私は港湾関係の取材をいろいろしてきて、
久慈市や大船渡市、釜石市の防波堤、防潮堤が
いかに今まで優秀に町を守ってきたかを知っている。
三陸地震以来、津波の恐ろしさを知りつくした人々が
ハードのみならず避難というソフト面でも、
本当に日々防災に力を入れてきたことを知っている。
八戸市や仙台市が
地方の産業や経済力を向上するために、
港湾施設を整備し、さまざまなポートセールスに励み、
港湾、空港、高速道路、企業誘致、フェリーなどの航路の誘致を通じて
胸を張って「どうぞわが港へ!」と紹介してきたのを見てきている。
年年巨大化する港湾で世界に伍していくため、
国際コンテナ戦略港湾や国際バルク戦略港湾に名乗りをあげるため、
あらゆる工夫をし、予算をかけ、人々のつながりを深めてきたのを知っている。
その港、港、港が、
真っ白な波頭が堤防の上ではじけ、溶岩のような真っ黒い生き物が田畑をなめ、
土煙とともに船を、家を、コンテナを、車を、飲み込んで押し流していく。
その光景は
東北地方の方々の不断の努力のすべてを一瞬で水泡に帰した
悪魔の仕業としか思えず、
ただ呆然と、震撼としたのだった。
私が講演会で出会ったあの人は、この人は、
あの波にのまれてはいないか。
そういう心配ももちろんある。
おそらくは自分の家族も被災しているだろうに、
港を、町を、人を守り支えるために、きっとがんばっておられるのだろう。
そう思うと、胸が痛くなる。
また私自身、住む地域に被害が及び、
いまだに断水が続いていたり、トイレが使えなくなったりして、
避難所に飲料水をもらいに行ったりしている、ということもある。
最寄りのJR線は動いてないし、
家のまわりはいたるところ液状化して、
スーパーは「浮いている」し、となりのコンビニは「傾いて」いる。
液状化して干潟のようになった中学校の校庭。
噴き出した泥で道の脇に止めてあった車がタイヤ半分埋まっていたりする光景。
地盤が沈下してマンホールが50センチ以上地面より高くそびえている様子。
給水を求める長い列。
黙々と水を持って帰る人々。
あいさつは「ご家族はみな無事だった?」「生きてます」
東北や茨城とは比べものにはならないが、
私も立派な被災者だと感じる瞬間だ。
「ただただ放心状態」
テレビから流れる避難民の言葉に大きくうなずく。
片づけにかかれない。
仕事が手に着かない。
お芝居を見ようという気になれない。
水を汲み、何を食べるかを考え、排泄の後始末の心配をするのが精いっぱいだ。
その上に、次から次へと起こる原発事故。
私はかつて「もし間に合うのなら」というリーフレットや
「東京に原発を」という本を読んだりした。
チェルノブイリ事故のとき、ちょうど子どもが小さく、
ヨーロッパ製の粉ミルクを止めたり、
国産の牛乳は大丈夫か、と問い合わせたりしたものだ。
チェルノブイリの放射能が、風向きによって日本にも届いた、と報道があったからだ。
だから、
今の福島第一原発の状態が
いかにゆゆしき事態であるか、肌身にしみるのである。
非常に利己的であると思いつつ、
爆発したとか燃料棒が露出したとか炉心溶融とか聞くたびに
「風向き」ばかりが気になってしかたがない。
原発のニュースが始まると、
もう目を離せなくなってしまう。
ニュースを見ていたからどう、見ていなかったからどうともいえないのに、
心配で心配でたまらない。
地震当時、親と離れていた娘は、今一種のPTSDである。
ちょっとでも揺れると自分の部屋に閉じ込められないよう居間に出てくるし、
長らくほったらかしにしていたぬいぐるみをひっぱり出してきて
一緒に寝ているし、
「私これから、一生携帯電話は家に忘れないと思う」と言っている。
ベッドサイドには、携帯の充電器などを入れたバッグを置くようになった。
これまでは、娘のことばかり心配して、
できるだけ一緒にいてやりたいと思っていたけれど、
今日、
はたと思った。
一種の抑うつ状態に陥ってるのは私も同じではないか、と。
被災地でできるだけ少ない水で、できるだけ少ない食べ物で、
効率的に困らないように生活しているうちに、
気持ちまでもちぢこまってしまったかな、と。
かつて阪神大震災のとき、大阪の人たちが
「ちょっと歩けばそこに普通の日常があってショックだった」
「同じ弐本なのに、どうしてこれほど違うのか」
と、おっしゃっていたのを思い出す。
私は「普通の日常」に、まだまだ戻ることができないでいる。
東京のすぐ近くにいながら、気持ちは東北の被災者に近い。
この先、どうなるのだろう。
いつになったら、もとに戻れるのだろう。
そんなことを思っている。
早く、立ち直らなければ、と思う。
私の場合、
家が流されたわけでも、仕事を奪われたわけでも、家族を失くしたわけでもないのだから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日まで、
文字を書くのもおっくうでした。
自分の気持ちを書くのが憚られた。
ものかきなのに。
情けないね。
ようやく第一歩。
ゆっくり寝て、明日からは少し仕事をしようと思います。
明日は冷え込むそうです。
被災地の方々、どうぞお風邪を召しませんように。
持病が悪化しませんように。
暖かい毛布やストーブ、温かい食べ物が行き届きますように。
大事な人の消息がつかめますように。
一人でも多くの命が助かりますように。
もう余震が来ませんように。
原発の「事象」が、どうかおさまりますように。

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