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「桜丸の死」と「ブランチのトラウマ」

ここのところ、体調を崩したりして
更新しておらず申し訳ありません。
みなさまに
平成中村座「菅原伝授手習鑑」の凄まじさとか、
文学座・青年座コラボの「欲望という名の電車」の奥深さとか、
「オペラ座の怪人」ロンドンバージョン25周年の映画版の至福とか、
いろいろなことをお伝えしたいのですが、
何も書くことなくここに至り、とても申し訳なく思っております。
まずは歌舞伎のほうから。(25日にも書きました)

中村座は26日が千秋楽
ですが、ぜひぜひご覧あれ!
若い力の放つ今でなくては見えないものがたくさん観られます。

「車引き」「賀の祝い」
では、
そうそう、松王丸も梅王丸も桜丸も、三つ子の若者だった、ということを、
ひしひしと思い知らされます。
いっつも重鎮で演じられるので錯覚しちゃいますが、
兄弟げんかして桜の枝折って「オレじゃない、知らん」とかうそぶいて、って
そういう他愛のなさがとても自然です。
しかし、白眉は菊之助の桜丸!
舞台に出たとき、すでに自死を覚悟している者だけが放つ静謐さが見える。
人形のように美しい頬をつたう一粒の涙のぬくもり、
九寸五分のきっさきに思わず飛びつく妻・八重とみつめあい、
「どうしようもない別れ」を前にして、無言で交わす妻への思い…。
翻って「寺子屋」ではその菊之助が源蔵となる。
松王丸の勘三郎を相手に一歩も引かず挑みかかる、
その気迫。
松王丸が息子小太郎の死に直面しながら
「それにしても、桜丸が、桜丸が…」と泣き咽ぶ意味が身にしみるのは、
「通し狂言」ならではの物語の重みだと感じました。
源蔵・松王丸という
主・菅原道真に対し不忠者と烙印を押された2人の忠義者が
いずれも「不忠者ではない」証を立てんがため、
何の罪もない子どもを手にかけて殺す、その母も必要とあらば殺そうとする。
かたや、自らの子を身代わりとして差し出す。
子を殺された者と、その子を殺した者とが
ともに首無し遺骸を弔って
その原因ともなった主の妻子を讃えつつ幕が下りるという
なんとも心騒ぐ「寺子屋」という演目のもつ
登場人物の複雑な心情と物語りの深遠さは
手だれではなくフレッシュな人々が改めて読み解いてこそ
私に伝わってきたのではないかと思いました。
七之助も源蔵の妻・戸浪という重い役を好演。
「欲望という名の電車」のほうも、必見です。
(23日にも書きました)
高畑淳子のブランチは、今まで観たどんなブランチより正攻法で、
しかしどんなブランチとも違う。
看護婦、ステラ、ブランチ、とすべてを演じてきた高畑の役作りの見事さ。
狂気と正気の間を彷徨うのではなく、
女が生きるためにたどってきた人生の幅というものを
あるときは夢のように美しく、あるときはおぞましいほど醜く
自ら語ってみせます。
彼女のトラウマの大きさが、彼女のその後の人生をいかに覆っていたか。
そこに思いが着きあたる。
これだけの物語を書いたテネシー・ウィリアムスが
この作品でもっとも描きたかったのは、
ブランチが科白の中でちょっとだけ話す
その「トラウマ」となった2人の男の人生ではなかったか。
今回、初めてそこに気がつきました。
小曾根さんのピアノが最高!
舞台装置は幕があいたその瞬間から音楽と一緒に私たちを南部へといざないます。
こちらも明日25日が千秋楽。絶対にみるべき舞台の一つです。
この二つ、2011年をしめくくる舞台として、
ぜひご覧になってください!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日で、ブログを開設して満5年になりました。
今年は後半滞りがちでしたが、
まだまだ、続けてまいります。どうぞよろしく

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