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「夏に来た娘(こ)」

昨日の続きです。
同窓会で鑑賞会をやった、
高校2年のときに作った8ミリ映画のタイトルは、
「夏に来た娘(こ)」。(全46分)
高校生ヒロシは、学校の帰り道に突然現れたナゾの女の子アキと知り合う。
フシギな力を持つアキに連れられ、
行きたい過去や未来にタイムリープして面白がっているうち
自分が1年もたたないうちに死んでしまう運命だということがわかり、
ヒロシは「その日」を待つという重圧に耐えられなくなる。
そしてヒロシはアキに、「その日」に連れていってほしいと頼む。
この作品、私が書きました。
正確には原作と調整。
物語の中心となる重要なシーンが先に出来て
(ほんと、モーツァルトじゃないけど、
ここは「書いた」というより「出来た」っていう感じだった)、
私が作ったそのシーンを採用するかどうか、OKが出てから
他を脚本グループのみんなで肉付けをしていったんです。
「高校生に死の話は難しくないか?」
「深刻すぎて人が集まらないんじゃないか?」
など、いろいろ論議を重ねながらも、
高校生等身大の物語にすることで方向が決まると、
みんな私なんかじゃ思いもつかないアイデアをどんどん出してくれて、
幅広く、いろいろなエピソードをちりばめられた。
だからシリアス一辺倒じゃない、
楽しくてほのぼのして、でも考えさせる、
そんな映画に仕上がったんだと思います。
遊びというか、エピソード作りはやはり男子です!
「男子が一度行ってみたいところは?」
「そりゃ銭湯の番台ははずせないね」
「原始時代も行ってみたい!」
「どーやって撮影するのよ??」
でも、やりました。
ロケハン隊大活躍で、銭湯の番台も、原始時代も。
「原始人」も出しました!
これだからグループで作るというのは、
一人だけでは破れない限界を越え、
一人だけでは到達できない発展性を持つんですね。
夏までにとりあえずの脚本は作りましたが、
ロケ現場に行くと、「これじゃおかしい」ことの連続。
「川べり」の設定が日曜のオフィス街になったりするし、
そのたびに場面に合うようにセリフを書き直す。
その調整役が私でした。
今そこにある条件の中で書いていく、
そういうのは、高校生のときから好きだったかも。
全然苦にはなりませんでした。
最初出演をOKしてくれた子役のご両親が映画のあらすじを聞いて、
「死ぬ運命の役をわが子にはさせられない」と辞退され、
途方にくれたこともありました。
今、子どもを持つ身になれば、とってもよくわかります。
親の愛情の深さ、あなどれないです。
原始時代なのに岩に「手すり」があって、
雑草を刈って巻きつけて目立たなくしたこともありました(@埼玉・吉見百穴)。
「矢切りの渡し」で有名な江戸川の川べりも行きました。
(ついでに寅さんの故郷・葛飾柴又も立ち寄った)
ブランド店が立ち並ぶ現在とちがい、当時はオフィスビルばかりだった丸の内の
日曜朝早くの人っこ一人いない閑散とした空気の非日常を
シーンに生かしたこともありました。
近くの大学のキャンパスにもぐりこみ、学生のふりして撮影敢行。
キャンパス内の「立て看」のベニヤ板が無造作に置かれているようなところも、
工事現場みたいな感じで「活用」させていただきました。
振り返れば、いろんなところにロケに行ったもんです。
この作品はその年の文化祭で映画部門の最優秀賞を獲りました。
昨日お話した「音声と映像の一致」も勝因の一つですが、
それと並んで、
サントラの「選曲」が抜群だったことは絶対だったと思います。
音楽グループもクラシックに強い人ありロックに強い人あり、で
今聞いても本当に名曲ぞろい。
リストの「愛の夢」をチェット・アトキンスが軽快に
カントリー風エレキギターを弾くオープニング、
カーリー・サイモンの「ウォーターフォール」に乗せて新宿の街をデート、
川べりの広がりにサンタナのサウンドが風のようにゆったりと舞い、
スカートめくりをして廊下に立たされた小学生のバックには
モーツァルトのメヌエットをわざとつっかえながら弾いてピアノのお稽古風。
絶望のシーンは、ポリーニのショパンを重厚に響かせ、
悩むヒロシには、チック・コリアやジェフ・ベックがかぶる。
「逃走」の場面もスリル満点。
ドラムとシンバルとエレキが心拍数を上げ、
ヒロシと一緒に観客も、螺旋階段の上へ上へと追い詰められる。
そしてラスト、
タイムトラベルものにお決まりの「オチ」のあとに
さらに待っていた「どんでん返し」。
そこにかぶるこのやさしい曲は、ポール・サイモンの「雨に負けぬ花」。
歌詞は
So, I continue to coninue to pretend that my life will never end ……
みんなで音楽を選ぶために
ラッシュ映像にかぶせて初めてこの曲がかかった日
物語をしめくくるのに、なんてふさわしい曲を選んでくれたんだろう、と、
感動したことは忘れません。
高校では、
この後演劇より映画が隆盛となります。
媒体もビデオになって、音声も同時にとれるようになりましたし、
今ならDVCで、多少暗くたって後で調整することだって可能でしょう。
照明係が必死にぶら下げているライトが映像に映ってしまっていたり、
銀板の反射がきつくて不自然になったり、
そんなことも、もうないでしょうね。
「人間は、みんな死ぬのよ」というセリフを書いた私のシニカルさは、
15歳の夏、交通事故にあって頭部にも外傷を受け、
脳外科に入院していろいろな人を見た、というのも大きかったかもしれない。
自分がはねられた前後の記憶がまったくない、というのも
臨死体験とかお花畑とか人はいろいろ言うけれど、
やっぱり死んだら「無」なんだ、とヘンに確信してしまったこともある。
自分自身の「脳」はさほどの後遺症もなく、
どちらかというと軽く考えていた足の骨折のほうがなかなか完治せず、
1年留年してしまったというオマケつき。
留年したおかげでこの学年に舞い降りてきた。
1年年上の松葉杖の休みがちな女子をやさしく迎えてくれたこともあり、
自分自身をもっとオープンにしたいと考えていた私は、
今でいえば「リセット」っていうか、自意識を捨てるのに成功し、
前よりずっと自分に正直に生きるようになれた。
映画を作ったり、アニメを作ったり、
30年たっても20人以上集まる同窓会をしたり、
人生を楽しく過ごさせてもらっている。
いい友達をたくさんもって、幸せだ。
その幸せのエッセンスが
多少の甘酸っぱさや苦さも含め、
この映画には詰まっている。
つまり、
セイシュン、だね。
*この映画は当時できて間もないぴあの自主映画コンテストに出品しました。
 結果は討ち死に。
 その時、講評してくれたのは、佐藤忠男氏でした。
 「テレビ的。アングルはよい」
 とっても納得してしまったのを覚えています。

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