以下、全文です。
今回の法案で私が特に懸念するのは、
「何が秘密なのかが秘密」という部分と「未遂でも罪」という部分です。
まず、「何が秘密なのかが秘密」について。
私は小学校3年生のときに担任の教師から朝礼での態度が悪いと叱責されましたが、
何が悪かったかは自分で考えろと言われ、いまだに何が悪かったかわかりません。
人を罪に問うときは、必ず
「何が悪かったか」「それはなぜなのか」を説明する責任があると思います。
今の法案のままだと、
国民は知らないうちに罪を犯し、自分の罪を自覚できないまま罰せられます。
これは、更生するチャンスも奪いますし、
私のように、何十年経っても恨み続ける気持ちを植え付けることになりかねません。
それは、国家にとってもマイナスだと思います。
また、それが「なぜ秘密扱いなのか」に十分な説得力が必要だと思います。
「なぜ秘密かが秘密」は説得力以前の問題であり、
何を特別秘密とするかについて、
指定する機関のほかに審査する別の機関が必要だと思います。
また、その経緯について、必ず記録を残すことを希望します。
ここのところ、政府の重要な案件で「議事録がない」ということが何度もありました。
一定の期間を過ぎてから開示する、特定の人に開示するなど、制限をもうけるとしても、
絶対に記録は必要です。
秘密の指定や審査に関わった人は、
これに抵触して罰せられた人に対し、将来にわたって責任を持つべきです。
もう一つの「未遂でも罪」。
たとえば殺人未遂など、悪意を持ったものだけを扱うものであれば、
未遂も罪でしょう。
ですが、この法案の場合、前提が「何が秘密か秘密」なのですから、
知らずに特別秘密の領域を侵すことは誰にでもありうる。
そのとき、
「それは国家にとってとても大切な領域だから」と一言言ってくれれば
「それは知りませんでした、失礼しました」で終わるケースはたくさんあると思います。
国としても、すべてを起訴するつもりはないでしょうが、
「未遂でも刑事罰対象」というその事実だけで、人間は萎縮し、
何かに関心を持ったり、探究したり、極めようとしたりする
知的好奇心を満たすことができなくなります。
民主国家でもっとも必要なことは、聞く自由と話す自由。
知る権利と表現の自由です。正しい、正しくないに関わらず、
思ったことを口にし、さまざまな意見を聞く。
その上で、自分で判断するのが民主主義です。
この法案は、知る権利も表現の自由もないがしろにしていると思います。
これでは、国民の力は発揮できません。
国力とは、国民の力です。
戦後、日本語を国語として守れたのも、国民の識字率が高かったからです。
国民の知的好奇心や表現活動を委縮させれば、そこに国としての発展はありません。
この法律は、
本来国力を損なわないために作られようとしているものだと理解しております。
それであるならば、
いたずらに国を恨むものを増やしたり、
国民を委縮させたり無気力にしたりすることは、
かえって国力を損なうのではないでしょうか。
日本という国の文化が今、いかに世界で尊敬されているか。
それは、私たちの創意工夫や周囲の人々を思いやる心、
辛い単純作業や労働さえも芸術の域にまで美しく変えてしまう探究心、
つまり「極める」心の賜物です。
極めるためには、未知の領域に踏み込む勇気と自由が必要です。
その勇気と自由を阻む法律では、国は栄えません。
私たちは、その昔、
法律が拡大解釈を重ね、市民生活に多大な影響を及ぼした過去を持っています。
法律は人の心も変えていきます。
日本人は、それでなくても「自粛」をする民族です。
言われなくてもある程度人の気持ちに添うことができます。
人の心や暮らしがささくれ立つような法律はなじみません。
どうか再考をお願いします。
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