巨星モーリス・ベジャールが死んだ。
そのとき、
「ベジャール・バレエ団」はどうなったか?
ベジャールを師とも神とも仰ぎ、
ベジャールのバレエだけを踊り、
ベジャールがいたから成り立っていた「ベジャール・バレエ団」。
バレエ団の誰もがベジャールという傘から放り出され、
自分の足で歩かなければならない。
ベジャールは自分のバレエの最高の理解者としてジル・ロマンを指名。
すべてを託されたジルは、
ベジャールの遺言を守り、動き出す。
遺言とは
これまでのベジャール作品を踊り続けること。
絶筆バレエ「80分間世界一周」を完成させること。
そして
新作バレエを創ること。
バレエ団の本拠地であり、大口スポンサーであるローザンヌ市。
ベジャール亡き後、とりあえず3年間の助成は決まっているが、
その後も支援を続けてもらえるか。
これがバレエ団存続の可否を握るカギである。
初めての「自分」の作品を振付けるジル。
ベジャールのマネでは新作にならない。
しかし、ベジャールが大好きなローザンヌの市民たちを
よろこばせる内容でなければならない。
ジルの苦悩、ジルの不安が伝わってくる。
そして、
ベジャール以外の作品を初めて踊るダンサーたちも然り。
さながら大海原に放り出された船員たちである。
途中で船長は死んだ。
この船を離れるか。
それとも、新しいリーダーのもと、この船で航行を続けるのか。
「残る」と決めた彼らは
一丸となって必死で練習に励む。
一つひとつのセッションを踊るたびに、
800メートル全力疾走を何セットも繰り返す陸上選手のように、
バッタリを倒れ肩で大きく呼吸するダンサーたち。
これほどまでに苛酷な練習に耐えられるのは、
尊敬してやまない天才ベジャールの牙城であり、
同時に自分たちを育ててくれたゆりかごであり、
自らのホームであるバレエ団を
守り抜きたいためである。
ジルの新作「アリア」の初演までの一ヶ月に密着した
このドキュメンタリーからはバレエ団の連帯感が、
ときに悲愴に、しかし温かさをたたえてほとばしる。
ジルがベジャールの継承者として適任であることは、
冒頭に映し出される「アダージェット」を見ればわかる。
ほかのダンサーたちも優れているが、
彼の精神性はずば抜けている。
また、
同じ演目、たとえば「恋する兵士」を
若いダンサーが踊ればそれなりに完成され素敵なのだが、
これをジョルジュ・ドンが踊ると、
まったく異質な、まったく違った魅力にあふれるものとなるから
やはり不世出の天才のもつ独自の世界というものは
練習によってのみ到達できるものではないと思い知る。
私がもっとも心を打たれたのは、
ベジャールが「新作」にこだわる理由である。
彼は言う。
「劇団は一人の人間、劇団員は細胞である」。
ダンサー一人ひとりが、各細胞として生まれ、死ぬ。
離れるものもいれば、新しく参入するものもいる。
そうやって、劇団は生きていくのだ、と。
今あるものだけに固執していては、
滅びるだけなのだ。
「続けろ」
これもベジャールの言葉。
新しいものを取り込み、生み出しながら、
血液の流れをとめないように、
バレエを続ける。
「ベジャール、そしてバレエは続く」というタイトルは、
そういう意味を含んでいる。
ベジャールさんはこんなに偉大だったんですよ、というドキュメンタリーではなく、
失ったも父性の大きさにおののきながら、
ひとつのハードルを超えていく若者たちの物語である。
でもだからこそ、
彼らが憧れ、師事を熱望させたベジャールの偉大さもまた、
大きな影のごとく存在感を示すこととなる。
「もしローザンヌの観客に受け入れてもらえなかったら、
僕はもう新作は作らず、ベジャールの作品だけを指導する。
(新作は、ほかの振付家に頼む)」
運命の日。
舞台脇で初演を終えたジルの後ろ姿を見ながら、
充実と感動で、静かな涙が流れた。
DVDが出たら、買いたいと思う。
また、
今年の11月にモーリス・ベジャールバレエ団の来日も決まっている。
こちらも、行かねば。
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