「マラーホフの贈り物2008」(Aプロ)、
昨日は、女性ダンサーを中心に書きました。
それというのも、マリーヤ・アレクサンドロワに悩殺されてしまったから。
プリマとかバレリーナいうと、か細くて拒食症一歩手前のような人を連想しがちですが、
マリーヤ、長身です。肩幅、広いです。逆三角形の筋肉質です。
脚、長いです。でも「棒」じゃないです。ちゃんとお肉ついてます。
ダイナマイトな肉体が、ものすごいスピードで動き、きっちり止まる。
その上、音楽の先を行く。
これが、できそうでできてないダンサーが多い。
指から、腕から、脚から、音楽が紡ぎ出てくるダンサーこそ超一流。
私はそう思っています。
…と、またまた女性の話から始まってしまいましたが、
今日は、男性陣について。
実は私、マラーホフをナマで見るのは初めてでした。
昨年暮れに膝を故障し、今回も来日が危ぶまれていましたが、
来てくれて嬉しかった!
でも、まだ万全ではなく、そのため変更された演目もありました。
但し、今回のトピックスの一つだった「牧神の午後」はやりました。
Aプロではオリジナルであるニジンスキー版、
Bプロではマラーホフとセミオノワによる十八番のロビンス版と
2つの異なる演出で見られるようになっています。
私はロビンス版はテレビででしたが観たことがあったのですが、
Aプロでニジンスキー版を初体験!
「春の祭典」と同じく、ロシアの民族衣装を身にまとった女性が出てきて、
ロシアの大地をほうふつとさせる異国情緒たっぷりの演出でした。
マラーホフは「牧神」いわゆるパンですね。
上半身は人間、下半身はヤギ、いたずらばっかりしているというヤツ。
けもののように口を大きくあけてのびをしたり、
水浴びに来た娘たちにそっと近づいて、「ほらほら、オレの、見る? デカイでしょ?」
なんて露出狂のおっちゃんになって大笑いしたり、
そんなおバカな生き物だったのが、一人の娘を見て態度が変わる。
好きになったのだ。
ただ、みつめていたい。
ただ、そばにいたい。
ただ、抱きしめたい。
ただ、好かれたい。
娘の落としていったスカーフを拾い、抱きしめ、その残り香に酔い、
そして…。
バレエを見ているというより、
能か狂言の舞台をみているようだった。
すり足でゆっくりと動くマラーホフ。
長くて細い手足が、緩急を巧みに使ってさまざまな感情を表現する。
この世のものとも思われぬほどのジャンプや回転をものしたニジンスキーが、
この「静」なる世界を作ったのはなぜだろう?
マラーホフの一挙手一投足に釘付けになりながら、
100年前のニジンスキーの頭の中を旅している自分がいた。
他の男性陣では、
マリーヤ・アレクサンドロワと組んだセルゲイ・フィーリンに切れ味があった。
ただ、「カルメン」ではマリーヤの一人舞台で、ほとんど刺身のツマ状態。
小柄で細身で髪型のせいもありかなり若く見え、
どちらが男性でどちらが女性だか、というくらいトーンが逆転していた。
昨日も触れたが、マキシム・ベロツェルコフスキーはモダンの方が格段によかった。
こういうのを見ても、バリバリのクラシックというのは、一分の隙も許されないところがあって、
王子役というのはあまり動きがないように見えて実は本当に難しいということがわかる。
ヤーナ・サレンコと組んだズデネク・コンヴァリーナも悪くない。
特に「ドン・キホーテ」で最後に見せた回転はものすごいスピードだった。
しかし、
熊川哲也のジャンプを見慣れていると、
どの男性のジャンプも半分くらいしか上がってないように見えるし、
回転して着地する時のブレも気になる。
どうしても、男性ダンサーへの採点は辛口になるなー、と思った次第。
それにしても。
バレエというのは、一人ひとり、こうも持ち味が違うものなのか。
同時代に世界の寵児となったマラーホフと熊川。
その体格もまったく違うし、表現もまったく違う。
100m走のアスリートとマラソンランナーくらい違う。
すんなりと美しく伸びるマラーホフの手足。そして、指。
こりゃ日本人にはたちうちできないだろう、と思う。
体格のハンディを克服するために、熊川は比類なき跳躍を獲得したともいえる。
重力を振り切って大きく大地を蹴ってジャンプする熊川。
対して、まるで神が上から糸を引張ったように、すっと手や足が空を切るマラーホフ。
生きる喜びのすべてをバレエにみなぎらせる熊川と、
生きる苦悩をバレエで表現するマラーホフ。
人間って、すごい。
そんなことも考えながらの家路でした。
- 舞台
- 25 view
この記事へのコメントはありません。