昨年暮れに亡くなった振付家・モーリス・ベジャールを追悼して、
彼の作品を集めて行なわれた「モーリス・ベジャール追悼特別公演」。
「ギリシャの踊り」「火の鳥」「春の祭典」の3作が上演された。
「ギリシャの踊り」でソロを踊った中島周に、釘付けである。
冒頭、ギリシャの海の波音をバックにコールドに混じってステージに上がっていた中島。
センターではなく、上手よりの、それも少し奥のほうにいたにもかかわらず、
そして全員同じ動きをしているというのに、
スローで鳥のはばたきのように動かす両手の動きの特段のなめらかさと、
裸の上半身がライトに当たって浮き彫りになる鍛え上げられた筋肉の細かなうねりによって
あの人は誰?
…と知らずのうちにも観客は彼の一挙手一投足だけを追い始める。
その滑らかな腕の動きの上半身の軟、
片足で立ちながら、もう片方の足を直線的に上げてこらえる下半身の硬。
次の動作に入るときの素早さ、キレの良さ。
そして、他のダンサーが一斉にうずくまったとき、
気がつけば彼だけがスポットライトを浴び、
輪の中心にいて立っているのだ。
腕を上げるにしても、脚を上げるにしても、グルリと回るにしても、ピタッと止まるにしても、
一つひとつの動作に厳しさがある。
妥協がない。
自らが生み出せる最高のパフォーマンスをギリギリまで搾り出そうとする執念がある。
彼は知っているのだ。
限界のその1ミリ先に、美の女神が微笑んでいることを。
だが、彼は知らなかったかもしれない。
ミューズを捕らえようとして伸ばしたその指先が、つま先が、
それでも捕らえられないミューズを求めて素早く次の動作に入る俊敏さが、
彼女に気づかれずに待ち伏せするため微動だにしないストップモーションが、
観客に深いため息と感動を与えることを。
カーテンコールに現われた中島は、
踊っているときとうって変わって解き放たれたような無邪気な顔だった。
え? 皆さん、僕のために拍手してくれているんですか?
ほんとに? 本当に?
そんな驚きと喜びに満ちた表情だった。
会心のパフォーマンスだっただろう。
少年が、若者になった。
そんな、舞台だった。
*「モーリス・ベジャール追悼特別公演」の全容に関しては、
昨日(5/11)のブログをどうぞ。
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