関西では67年ぶり、東京でも昭和42年以来という
「彦山権現誓助剱(ひこさんごんげん・ちかいのすけだち)」の通しの公演である。
「毛谷村」の場面は非常に有名で、
私もおととしの4月、福助のお園、吉右衛門の六助でこの段を見ている。
まずお園は六助の家に虚無僧姿(つまり男っぽいなり)でやってきて、
最初は二人で斬り結ぶのだけれど、
途中で六助の素性が知れると、
今度はお園、「そなたの女房じゃ、女房じゃ」といって、
急にいそいそとご飯の支度し出したりして、
六助に色目を使い出す。
何なの何なの?
福助の演技で楽しませてはもらったけれど、どういうシーンなのか、
筋書きを読んでもすぐにはわかりかねた。
今回、通しで見ることで、
そのとき「?????」だったナゾが、ようやく解けました!
お園(孝太郎)は指南役の父・一味斎をだまし討ちにした京極内匠(愛之助)を
仇と追っている。
しかしこの毛谷村にたどり着くまでに、
妹、妹の夫、古くから家に仕えた家来佐五平まで殺された。
すべては京極が妹に横恋慕したところから始まっている。
お園は佐五平が連れていた妹の子ども弥三松を捜していた。
すると六助(仁左衛門)の家の物干しに弥三松の着物がかかっていたのを発見、
六助を佐五平を殺した犯人と勘違いして乗り込んでくるのだ。
実は六助、
佐五平が襲われているところに遭遇、いまわの際の佐五平から弥三松を頼まれ、
養育していたところだった。
また六助はお園の父の一味斎を師と仰ぎ、
そのとき「娘のお園と夫婦になってもらいたい」と言われたことがある。
お園は父の手ほどきを受けて女ながら剣の達人。
遠方にあり会ったことはないが、六助のことはよく聞かされていた。
…ということが前半でよーくわかったので、
お園の切羽詰った襲撃の意味も、
うって変わっての「女房じゃ、女房じゃ」も非常によくわかる!
男勝りで勝気なお姫様だけれど、年齢的にはちょっと嫁き遅れの感のあるお園、
剣豪なれど気が優しくて母親思い、田舎(毛谷村は豊前)で母の墓を守る六助、
この二人が
最初のほうで殺されてしまったけれど一味斎という
人格もあり剣の腕も確かな武士を頂点に、
やじろべいのように左右にあって一度も交わらなかったものが、
ここで初めて交錯する、
とってもしゃれた出会いの場面なのでございました!
お園という女性がとても現代的で魅力的だ。
剣の達人なので、敵討ちの話にもうってつけ。
妹は子まで成しながら夫婦名乗りできないという事情を抱えていて、
その妹の子どもを家の跡取りにさせてあげよう、とか、
家のこともいろいろ考える、責任感もありアタマの回転も速い人。
これぞ長女、っていうキャラなんだよね。
けっこうファザコン。
剣も、きっと父親に認められたくてほめられたくて、どんどん稽古したんだろう。
男だったらいい跡継ぎになったのにな、って父親のほうでも思ってただろう。
だから父はお園を自分が見込んだ男と結婚させたい。
豊前の国って九州の片田舎で出会った六助をイキナリ「ご指名」も
そう考えると全然突拍子なく感じられるからフシギだ。
お園も、
自分がすごーく強いし切れるから、
そこらへんのありきたりな男には、全然魅力を感じなかったと思う。
かなりな「嫁き遅れ」感に、周りはいろいろ言ったかもしれないが、
「世間体」なんてピンと背筋を伸ばして意に介さず、という女性だっただろう。
その「六助」という男にだって
「一度会ってみなくちゃ私、結婚決めないわ!」的な矜持が透けて見える。
そこに六助!
まず、自分より強い。そして自分より優しい。
さらに自分と同じくらい正義感が強い。
そしてここが大事だけど、
自分の父親を、自分と同じくらい好いてくれている。
そのうえ、ほんとにうれしいことに、
イ・ケ・メ・ン!
もう「女房じゃ、女房じゃ!」の天にも昇る気持ち、わかります~!
孝太郎のお園、よかったです!
もちろん、六助の仁左衛門もよかったですよ。
ただ、
通し狂言にすると、5幕9場になるこの狂言、
六助が登場するのは四幕目からで、
観劇側からすると11時に始まって最初の休憩でご飯を食べて、
その次の休憩がまた20分くらいあって、
それでようやく出てくるわけですよ。
いくら通しといっても、
「仁左衛門を観にきた」人は、3分の2の時間おあずけを食う形。
だから
初めて仁左衛門が登場したときは、
話が前に進まないほど拍手が鳴り止まなかった。
逆にいえば、それまでは拍手とか少なかった。
前半は悪役の京極内匠(たくみ)が大活躍なんだけど、
愛之助は京極をやるにはちょっとやわだったかな。
もっと悪役でよかったと思う。
この話は「お園」が主人公なんだな。
そのことをわかって観ないといけないね。
でもその意味では、
亀治郎とか菊五郎とか七之助とか、そういう人がお園をやって
この通しをやると、とっても面白いと思った。
京極は海老蔵とか勘太郎で。亀鶴もいいな。
それこそ、仁左衛門が京極で、六助が愛之助のほうが、
バランスがよかったかもしれない。
今回、久々の上演に向けて、話はかなり整理したとのこと。
それもあって、すごく現代的に思えたのかもしれません。
歌舞伎って
昔のものを後生大事にやってるわけじゃないんです。
ちゃんと「現代」を意識して、でも伝統も大切に、
大胆かつ慎重に演出を変えているんですよ!
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