八月納涼歌舞伎、
8/13(木)に第一部、
8/14(金)に第二部、第三部と観てまいりました。
一つひとつの演目に対するレビューはまた後日にするとして、
全体的な感想を書いておきます。
今回の納涼歌舞伎は
第三部「怪談乳房榎」における勘三郎の四役早変わりが
最初の納涼歌舞伎、つまり20年前と同じ作品、ということもあり
これに焦点をあてての宣伝が多いです。
この早変わりは下馬評通り見ごたえ十分。
ただその分、
どうしても観客の目が「早変わり」ばかりに集中するので、
話のすじとか場面場面でのしっとりとした台詞などの印象が
薄くなります。
その意味では、同じ第三部の「お国と五平」は
扇雀、三津五郎、勘太郎の3人しか出てこず、
シンプルなだけに役者の力量や話の深さが際立って、
非常に心に染み入る作品でした。
これについては、後日じっくり書きたいと思います。
「歌舞伎」らしさを堪能するなら、
第二部の「船弁慶」でしょう。
松羽目ものといって、
能舞台を意識した松を描いた背景の前にお囃子がしっかりと陣取り、
その前でなんの舞台装置もないまま踊りますが、
勘三郎の、静御前と平知盛の霊との演じ分けが素晴らしい。
静の能面のような面立ちの中に別れの辛さだけでなく、
白拍子のやるせなさをこめる表情や仕草が見事。
打って変わって知盛の、重い衣装もなんのそのの素早い動きは
どんなダンサーにも負けないくらいの切れ味。
お囃子も、三部通してもっとも質が高いと感じました。
第二部のもう一作品「豊志賀の死」は
新吉を演ずる勘太郎がよかった。
勘太郎は「お国と五平」の五平も好演、
男の凛々しさからずるさ、弱さまで
異なる面をしっかり演じ分けて主演できる力量が備わったと
つくづくこの1年の成長に感心します。
涙でオペラグラスの縁がびしょびしょになってしまったのが、
第一部「天保遊侠録」。
勝麟太郎(後の勝海舟)の父親・勝小吉が
秀才の麟太郎の行く末を思いヤクザな生活をやめて小職を得ようとするも、
うまくいかずに結局子どもを養子にとられてしまう話です。
小吉役の橋之助が自分の感情を吐露する場面が秀逸で、
どんなに自分がダメ人間でも、
ダメ人間だからこそ子どもが命で、
その子どもと引き離されてしまう辛さ悲しさ苦しさが胸に迫ります。
そこに扇雀扮する芸妓の八重次。
彼女(彼?)が出てくると、全体がぴしっと引き締まる感あり。
扇雀はどの演目でも表現に説得力があってどこから見ても「女」でした。
麟太郎には橋之助の次男・宗生。奥さんの三田寛子そっくりのお顔がかわいいが、
彼の演じ方一つで話は喜劇にも悲劇にも。
これについては、
また後日詳しく書きたいと思います。
第一部では三津五郎の五役踊り分けが主眼目の「六歌仙容彩」。
これについては、
ゴメンナサイ、私は日本舞踊についてはまったく基礎知識がなく、
「踊り分け」の素晴らしさをきちんと表現できませんので
ノーコメントとさせてください。
つけたし。
夏休み興行で三部構成といつもと違うだけでなく、
お盆の真っ只中ということもあるのでしょうか、
両日とも観客の振る舞いに非常識なものが目立ちました。
咳込みは自然現象だから仕方がないとして、
携帯は鳴る、バサッと物が落ちる音、大きな声で喋る、などなど。
話しかける声も大きければ、
それに対し「え?何?」と聞き返す声も耳障り。
静御前がしずかに話しているのにー!
以上、
二日間の観劇感想でした。
勘三郎さんの納涼歌舞伎に対する思いは、ここに。
*つけたし2。
これから「船弁慶」を見ようとチケットをとる方、
知盛は花道で大暴れするので、
できれば花道が見られる席をおすすめします。
- 舞台
- 9 view
この記事へのコメントはありません。